米国建国250周年を迎える中、「フリーダム250・サルート・トゥ・アメリカ(自由250周年・アメリカへの敬意)」で打ち上げられた花火を見るトランプ米大統領とメラニア夫人REUTERS/Aflo
米国はこれまでも、巨大な暴力をふるい、世界の不安定性を増殖させてきたことがあった。愚行に対して、かつては米国内から自省や自浄の動き、市民の「審判」が生まれてきたが、今日はどうだろうか。世界的ベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者、バルファキス元ギリシャ財務相が、米国発の名画や名著を振り返り、米国の変容を考察する。
アメリカ合衆国建国250年を迎えて間もない今、通常であれば、良し悪しはともかく米国に関する主張を経済的・地政学的に分析したくなるところだ。だが今の私は、その誘惑にあらがわねばという奇妙な感覚を抱いた。その代わりに、アテネに生まれた一人の人間として、その発展や行動がすべての人々に影響を与えてきた米国というグローバルな覇権国家に対する、情緒的で個人的な思いに身を委ねてみよう。
振り返れば、私の人生に「米国」が登場した最も古い記憶は、1968年6月上旬の暑い午後のことだった。CIAの支援を受けたクーデターによりギリシャでファシスト独裁政権が誕生してから1年ちょっと経った頃だ。母と私は、修復された古代の闘技場の外を散歩していた。1896年に初の近代オリンピックの会場となった場所だ。突然、新聞売りの少年の大声が静寂を破り、米国である人物が殺されたと告げた。母は涙ぐんで、「彼が私たちにとって最後のチャンスだったのに」と言った。
殺されたのは、ロバート・F・ケネディ。母はこの人物に、ギリシャの独裁からの解放だけでなく、世界平和の実現まで、正否はともかく多くの期待をかけていた。この一件が私に、米国が誰にとっても大きな存在であること、その一方で内部矛盾を抱えていることを手っ取り早く教えてくれた。
もちろんそれ以前にも、米国における痛ましい殺人事件、特にマーチン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコムXの暗殺などを伝えるニュースに触れたことはあった。それ以降も、ベトナムにおける日常的な蛮行やウォーターゲート事件の闇が報道された。だが米国にはそれに対抗する形で、そういうすべてに対する、痛烈にして繊細かつ芸術的にも洗練された批判があった。







