もっとも、どれほど努力をしても結果を出せないことはあります。しかし、そのような時でも、楽観的な人は、決して深刻になって悩むのではなく、次の機会に目標を達成するために努力をさらに重ねることができます。「誤りは償うことができる」と確信しているからです。

悲観的な人々は
何もしない理由を探す

 ここでアドラーがいう「自分を弱く、不完全であると見なすきっかけを見出すような人」とはどんな人かは説明がいります。初めから困難を前にどうすることもできないと考えている人は、何もしない理由が必要なので、人生の困難に耐えられない理由を探します。

『アドラーの教育論 対等と自立』書影アドラーの教育論 対等と自立』(岸見一郎、幻冬舎)

 それが「弱いこと」や「不完全であること」であり、自分がそのようであると見なす「きっかけ」というのは、望む結果を出せないというような失敗をすることです。だから、再起を図ろうとはしません。

 直面する課題が困難なので自分を不完全で弱いと見なすのではなく、困難に向き合わないために自分を弱く不完全だと見なすのです。

 不完全であることを認めることは「過度に要求」しない、つまり、とても達成できないような目標を掲げるというようなことをしないために必要ですし、失敗することを恐れて課題に取り組もうとしない人にとっては自分が不完全であることを受け入れる勇気が必要ですが、困難に向き合おうとしない人にとっては、不完全であること、弱いことは、本当は対処できることでも何もしない口実になります。自分を課題に直面するには弱く不完全だと見なすことも、「安直な逃げ道を探す」(Adler Speaks)ことです。

 かくて、このような人は、最初から、困難を克服する努力をしないで、何か適当な理由を見出した上で、困難に屈し、どうにもならないと嘆いて何もしないのです。