さらに、予防医療の利用も増加し、コレステロール検査は約50%増、乳がん検診(マンモグラフィー)はほぼ倍に増えました。加えて、糖尿病の診断率は、基準値1.1%に対して3.8%ポイント上昇し、糖尿病治療薬の使用率も、基準値6.4%から5.4%ポイント増加しました。

 抑うつ症状の診断も増加した一方で、高血圧や高コレステロール血症といった他の慢性疾患では、診断率や薬の使用率に明確な差は見られませんでした。

 また、入院の確率も約30%増加しており、その多くは救急外来を経由しない外来受診後の入院でした。

医療債務は25%減り
経済的な安心感が広がった

 第二に、保険加入によって、医療費に伴う経済的な不安が大幅に軽減されたことも確認されました。医療保険に入ることで自己負担が減り、医療費によって生活が破綻するような事態はほとんど見られなくなりました。

 医療費を支払うために借金をしたり、家賃や電気代など他の支払いを諦めたりするケースも大きく減少しました。信用情報にも改善が見られ、未払いの医療費が債権回収業者に渡る「医療債務」の発生は約25%減少しています。

 このように、医療保険への加入は、単なる医療費の補助にとどまらず、家計不安を和らげる「経済的セーフティネット」として機能していたといえます。

 第三に、主観的な「自分は健康だと思える感覚」にも変化が表われました。保険加入者は、健康状態を「普通以下・悪い」と評価する人が減り、「良い~非常に良い」と答える人の割合が約25%増加していました。

 同時に、抑うつ症状を抱えていると回答した人の割合は、加入できなかった人と比べて約30%(9.2%ポイント)減少していました。精神的な安心感の広がりが、自己評価にも影響しているものと考えられます。

 一方で、血圧、総コレステロール、HDLコレステロール、ヘモグロビンA1c(過去数カ月の血糖状態)、10年後の心血管リスクスコアといった身体的な生体指標については、保険加入による有意な改善は確認されませんでした。

 つまり、保険加入がただちに身体の状態を大きく変えるところまでは至らなかったという点は、経済的・心理的な改善との対比として注目すべき結果です。

『「もしも」で命は救えるか?因果推論入門』書影「もしも」で命は救えるか?因果推論入門』(井上浩輔、光文社)

 このような結果を見ていくと、「保険を得ること」には確かなメリットがある一方で、身体的な健康指標の改善には短期間では表われにくいことも分かります。

 オレゴン医療保険実験の最大の意義は、「政策がランダム化比較試験として機能した」という点にあります。

 一般的に、医療保険制度の影響を調べるのは難しいものです。加入できるかどうかは個人の状況に依存するため、「保険がある人はもともと健康的な生活をしているから、各指標の改善が認められているだけでは?」という疑問が残ってしまうからです。

 しかし、オレゴン州では「抽選」という政策上とられた戦略が、まるでランダム化比較試験のように働きました。その結果、「もしも保険があったら、なかったら」という仮想の比較が現実に可能になったのです。