NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』より (C)NHK
歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第28回のタイトルは「急げ!秀吉」。織田信長(演:小栗旬)が明智光秀(演:要潤)に討たれたことを知った小一郎(演:仲野太賀)は、京に潜伏。中国地方で毛利を攻めている兄・秀吉(演:池松壮亮)に急を知らせます。事態を知った徳川家康(演:松下洸平)、柴田勝家(演:山口馬木也)らもそれぞれの思惑で動く中、秀吉は毛利との和睦をとりまとめると全速力で京都へ向かいます。有名な「中国大返し」ですが、その本当のすごさは、「速く歩いたこと」ではないのです。近年注目される新説から、中国大返しの真相に迫ります。(かしまし歴史チャンネル/川合章子)
奇跡の進軍!?「中国大返し」
秀吉の「中国大返し」は、戦国時代を代表する奇跡の進軍として知られています。本能寺の変で織田信長が討たれた直後、備中高松城を包囲していた羽柴秀吉は、わずか10日ほどで京都近郊まで戻り、明智光秀を山崎の戦いで破りました。
しかし、この中国大返しは、本当に「秀吉の行軍が異常に速かった」というだけで説明できるのでしょうか。近年では、その背景にあった兵站や情報網に注目した、新たな研究も登場しています。今回は、中国大返しの日程を振り返りながら、その成功を支えた最新の学説をご紹介します。
秀吉はいつ本能寺の変を知ったのか
秀吉が本能寺の変を知ったのは、一般的には天正10年(1582)6月3日の夜と考えられています。
江戸時代の軍記物の多くは、明智光秀が毛利氏へ送った密使を秀吉が途中で捕らえ、その使者から変を知ったと書いていますが、一方で小瀬甫庵の『太閤記』では、京都の豪商で茶人でもあった長谷川宗仁が秀吉へ知らせたとされています。
現在では、どちらか一方というのではなく、複数の情報ルートから本能寺の変を確認した可能性が高いと考えられています。もし密使一人から得た情報だけなら、虚報や誤報の可能性もありますが、京都側からの確かな情報も重なったことで、秀吉はただちに毛利氏との講和と京都への帰還を決断できたのでしょう。
本能寺の変を知った秀吉 (C)NHK







