中国大返しは「兵站」と「情報戦」の勝利だった
中国大返しは、単に「秀吉軍の足が速かった」という話ではありません。
長距離を移動しながら、軍勢の戦闘力を維持し、補給や情報伝達を滞らせず、帰還直後に決戦へ持ち込んだ点にこそ、その真価があります。
近年の研究では、秀吉個人の才覚だけではなく、事前に整備されていた補給網や情報網、さらには水運の活用など、多面的な要因に光を当てています。
まだ定説とはいえない部分もありますが、こうした新しい視点を知ることで、中国大返しは単なる「奇跡の大行軍」ではなく、綿密な兵站計画と情報戦によって支えられた軍事作戦だったことが、より鮮明に見えてくるのではないでしょうか。
徳川家康も、信長が討たれたことを知る (C)NHK
京都へ戻ってきた秀吉(上)と、小一郎 (C)NHK
信長の草履を手に持つ、秀吉(左)と小一郎 (C)NHK
「豊臣兄弟!」では、小一郎は森乱に会って信長が討たれたことを知り、京都に潜伏して秀吉に本能寺の変について知らせるというストーリーになっていました。次ページの動画では本記事の内容に加え、史実でも小一郎は京都にいたのか、ドラマでは中国大返しの手柄がすべて小一郎のおかげといったことになっていたのでは?などの話をしています。







