「御座所」説が解き明かす中国大返し

 かつては、中国大返しがあまりにも鮮やかだったため、「秀吉は本能寺の変を事前に知っていたのではないか」という黒幕説まで唱えられました。

 しかし現在では、そのような説は学界では否定されています。

 秀吉の中国大返しが成功した理由として、近年注目されているのが、城郭考古学者・千田嘉博氏の「御座所(ござどころ)説」です。

 千田氏は、兵庫城などの発掘調査から、一地方の城としては不自然なほど大規模な港湾施設や石垣が整備されていることに着目し、その理由として、信長が毛利攻めの総仕上げに出陣することを想定した秀吉が、信長専用の宿泊&補給施設である「御座所」を各地に整備していたのではないか、と考えたのです。

 もし、京から備中までのルートに「御座所」が整えられ、水や兵糧、宿泊施設、交換用の馬などがあらかじめ準備されていたのなら、本来は信長軍のために使われるはずだった補給網が、そのまま秀吉軍の帰還にも利用できたことになります。

 これなら、中国大返しが極めて円滑に進んだ理由も説明しやすくなります。

 さらに千田氏は、この御座所が単なる補給基地ではなく、情報伝達網としても機能していた可能性を指摘しています。

 つまり、本能寺の変の知らせも、このネットワークを通じて迅速かつ正確に秀吉のもとへ届けられたのではないかというわけです。

 現時点ではまだ仮説段階ですが、非常に興味深い見解といえるでしょう。

注目の新説:船で兵を移動させた?

 もう一つ、注目されているのが、歴史ライター・西股総生氏が提唱する「海路利用説」です。

 西股氏は、備前・沼から姫路まで約78キロをわずか1日で移動したという記録に注目しました。78キロというのは歩兵の1日の移動距離としては長すぎるため、この区間だけは兵の武器や甲冑、荷駄の一部などを船で運んだのではないか、と考えたのです。

 実際、秀吉は毛利攻めで大量の船を運用しており、高松城攻めでも兵糧輸送に水運を活用していました。

 武器や鎧、兵糧など重量物を船で運搬すれば、兵士の負担は大きく軽減され、行軍速度も向上します。一次史料で直接確認できるわけではありませんが、十分に考えられる仮説といえるでしょう。