藤原宮太極殿院南門の復元列柱(奈良県橿原市) Photo:PIXTA
7月26日の「ユネスコ世界遺産委員会」で、世界文化遺産への登録が決定した「飛鳥・藤原の宮都」。しかし藤原京はわずか16年で廃され平城京へと遷都されている。未完成の藤原京から平城京への遷都はなぜ起きたのか。最新の発掘調査・新発見をもとに、その謎を解き明かす。※新刊『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社刊)から抜粋して紹介します。
令和7年(2025)に奈良国立文化財研究所が、藤原宮の大極殿院西面回廊の西方の跡を検出したと発表した。大極殿は、重要な儀式の時に天皇が出御する建物である。
大極殿院の南方には、役人が政務を行なう朝堂院がある。文武天皇は即位のときに、内裏から大極殿に出て、貴族たちが整列する前で即位式を行なったと考えられる。
元日に天皇の前でひらかれる朝賀の儀式も、毎年この大極殿で催されていた。
今回の発掘によって、これまでの研究で推測されていた大極殿院の規模が確認された。藤原宮の大極殿院は東西約117メートル、南北約158メートルの巨大な回廊の建物だったのである。
この大極殿の東西の長さは、当時の日本で用いられていた唐尺の400尺に相当する。
大極殿院をはじめとする藤原宮の政務に関連する建物はすべて、瓦屋根をもち、赤く塗られた巨大な柱と白壁が美しい建物であった。
しかし藤原京内には、昔ながらの檜皮葺の貴族や役人の邸宅や、庶民が住む竪穴住居が混在していた。しかも藤原京の京域のあちこちに、天香具山などの手付かずの丘陵や、広い原野が見られた。







