「世界の急所」と呼ばれるホルムズ海峡。その歴史をたどると、古代交易からポルトガル支配、そしてイギリスによる石油利権の獲得まで、列強の思惑が交差してきたことがわかります。なかでも20世紀、イギリスは英露協商でイラン南東部を勢力圏に組み込み、ダーシー利権を足がかりに石油開発を進めました。現在のBPにつながる巨大企業は、こうして誕生したのです。では、イギリスはどうやってイランの石油とホルムズ海峡を支配していったのでしょうか。
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石油がホルムズ海峡を「世界の急所」にした
ホルムズ海峡は古代から中東とインドを結ぶ交易路で、イスラーム時代にはバスラ、11世紀以降はホルムズ王国が国際商業の中心として栄えました。16世紀にはポルトガルがホルムズ島を占領しましたが、1622年にサファヴィー朝とイングランドの連合軍が奪回し、対岸のバンダレ・アッバースが主要港となります。
その後、大航海時代やスエズ運河の開通で重要性は低下しましたが、20世紀に油田開発が進むと再び注目されました。石油需要の拡大を背景に、イギリスはガージャール朝への介入を強め、1907年の英露協商でイラン南東部を勢力圏とし、ホルムズ海峡とペルシア湾の交通路を掌握しました(下図参照)。
出典:地図で学ぶ「深読み」世界史
イラン石油の独占利権が、現在のBPを生んだ
イギリスは、1901年に鉱業資本家ウィリアム・ノックス・ダーシーが、ガージャール朝よりイランにおける石油採掘の独占特権を獲得します(ダーシー利権)。これを受けダーシーは1909年にアングロ・ペルシアン石油会社を発足させ、イランにおける石油操業を本格的に開始するのです。
アングロ・ペルシアン石油会社は、1935年にアングロ・イラニアン石油会社に改称、さらに1954年にはブリティッシュ・ペトロリアムと改められ、今日はBPとして知られる企業に発展します。BPは第2次世界大戦終戦後から1970年代まで、世界の石油生産と市場を支配した国際石油資本(石油メジャーないしセヴン・シスターズ)の一角を占める巨大資本(あるいは巨大企業複合体)として石油市場に君臨したのです。
また、イランだけでなくペルシア湾周辺一帯がイギリスの勢力圏だったこともあり、イギリスによる油田開発が進み、ホルムズ海峡は石油の一大輸出ルートとして再びその重要性が高まることになります。
(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋・編集したものです)









