同じ「多摩丘陵」で生まれた街でも
街づくりの思想が違った
なぜ、同じ時代に生まれた郊外住宅地でその後の評価に差が生まれたのか。牧野氏は、その最大の理由を「開発主体の違い」にあると指摘する。
「多摩ニュータウンは、日本住宅公団などが中心となって、戦後から続く住宅不足の解消のために整備された住宅供給プロジェクト。道路や公園、商業施設などが計画的に配置され、住環境を整える非常に大規模な取り組みでした。そのためまずは多くの人が暮らせる住宅を供給することが重要な役割だったのです」
一方、多摩田園都市は、東急電鉄グループが鉄道整備と沿線開発を組み合わせて進めた民間主導の大規模開発だ。
「東急電鉄にとって沿線に住宅が増えれば鉄道利用者が増える。駅周辺の商業施設を整備すれば、沿線内で消費も生まれる。住みたくなる街をつくり、沿線の魅力を高めることは、新たな居住者を呼び込みます。街の価値を維持・向上させることが、結果的に鉄道や不動産などの事業価値にもつながる仕組みです」
つまり、多摩ニュータウンと多摩田園都市では、街が完成した後、その価値を「誰がどのように維持し、育てていくのか」という仕組みが異なるという。その点が、長い時間を経た現在の街の姿にも影響していると考えられる。
東急田園都市線 Photo:PIXTA
また、街の評価を左右した要素のひとつが、都心へのアクセスだ。たまプラーザ駅と、多摩センター駅を比べると、両者の違いが見えてくる。







