値札を見て一拍置き、つい「昔はいくらだった」と前の値段に換算してしまう。経済学者にどれだけ理屈で説明されても、この癖を生涯手放さなかった女性が、ピーター・F・ドラッカーの自伝的名著『傍観者の時代』に登場する。彼女の換算をたどりながら、物価が上がり続ける時代に、お金とは何かをもう一度問い直してみよう。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 通貨の価値

なぜ「昔はいくらだった」と言ってしまうのか

 レジの前で値札を見て、思わず「昔はもっと安かったのに」とつぶやいてしまう。買うことはもう決めているのに、その一拍がどうしても入る。

 この感覚は気のせいではない。総務省統計局の消費者物価指数によれば、2020年を100とした指数は2026年6月時点で113.6に達している(2026年7月24日公表)。帝国データバンクの調査では、食品主要195社の2026年の値上げは1~11月の判明分で1万8347品目にのぼる。9月だけで4531品目と、年内最多の値上げラッシュが控えている(2026年7月31日公表)。

 ただし数字は、値上がりの事実は教えてくれても、なぜ私たちが昔の値段を口にしてしまうのかまでは教えてくれない。その問いを考える手がかりが、ドラッカーの自伝的な一冊『傍観者の時代』にある。

 手がかりになるのは、著者自身の祖母である。一族の誰からも、いちばんの間抜けと笑われていたという老女だ。

100年前の祖母の換算術

 19世紀のオーストリアは銀本位制で、通貨の単位はグルデンだった。1グルデンが100クロイツァー。いまの円と銭のような関係だと思えばいい。

 ところが1892年、祖母が35歳前後のときに金本位制へ移り、単位はクローネに変わった。さらに30年後、第一次世界大戦後のインフレでクローネは価値を失い、戦前に1クローネで買えたものに7万5000クローネを要するようになって、今度はシリングが登場する。

 本書によれば、祖母以外の誰もが1年もしないうちにシリングで考えるようになった。だが彼女だけは換算をやめなかった。シリングの値札を見ては切り替わる直前のクローネに直し、戦前のクローネへ引き戻し、最後にグルデンとクロイツァーまでさかのぼったのである。

 卵屋との押し問答はこうだ。1ダース35クロイツァーとは高い、昔は25クロイツァーだった、と食い下がる祖母。餌代がかさむからと弁解する店主に、彼女はこう返している。「鶏は社会主義者ではありませんからね。共和制になったからといって、沢山食べるわけがないでしょ」

尺度が変わったのは誰か

 経済学者だったドラッカーの父は、この祖母に物価の仕組みを説明しようとした。インフレでお金の価値が変わったのだ、と。

 返ってきたのは、思いがけない反問だった。あなた方経済学者にとっての尺度はお金でしょう、それならお聞きしますが――尺度が変わったからといって、私が6フィートになったといえるのかい。物差しの目盛りを付け替えたところで、測られる側の背丈まで変わるわけではない。変わったのは物差しのほうであって、暮らしの実感ではない、という切り返しだった。父は説明を諦めた。

 もっともドラッカーの父は、祖母を見放したわけではない。1892年の値段に戻すための面倒な掛け算から解放してやろうと、わざわざ換算表まで作ってやったのだ。善意の合理性は、しかし空振りに終わる。あの頃の値段表がなければ比べようがない、というのが祖母の答えだった。

 だが父に見透かされていた点があった。祖母はいつも卵やレタスやパセリの値段を諳んじている、覚えていないはずがないだろう、と食い下がったのである。祖母の答えは意外だった。30年前のパセリの値段を覚えているより大事なことは沢山ある、当時の買い物はメイド任せだったのだから、と。ならばなぜ店先ではいつも覚えていると言い張るのか。重ねての問いに、祖母はあっさり答えている。「覚えているといわなきゃだまされるからね」

 つまり祖母の換算は、正確な記憶に支えられた計算ではなかった。基準を持っている側であり続けるための、いわば構えだったのである。その構えが、のちに専門家の側から追認されることになる。

価値の基準は誰が持つのか

 家族はそんな祖母の言動を笑った。経済学も知らず、ただ頑固なだけの老女だと。だが本書でドラッカーは、その評価をこう書き直している。祖母の直観が、専門家の議論に何十年も先んじていたことを、この一冊は静かに認めている。

私たちは、おばあちゃんがインフレをわかっていないといって笑った。だがいまでは、誰もがインフレをわかっていないことが明らかである。

――『傍観者の時代』より

 彼が引き合いに出すのは、アメリカの証券取引委員会が、物価変動の影響を織り込んで決算の数字を読み直す「インフレ会計」の導入の必要を示唆したことである。祖母がしていたのは、まさにそれだった。

 専門家の物差しが間違っているという話ではない。指標は指標として正しく、それでもなお取りこぼされるものがある、ということである。

おばあちゃんは20世紀の問題の本質をつかんでいた。お金が通貨であるためには、価値の基準となることができなければならない。その基準となるべきものを政府が変えてしまったならば、お金とは何であるということになるのか。

――『傍観者の時代』より

 もちろん、卵の値段が万能の物差しになるはずもない。ドラッカーはそれを承知のうえで、こう書き添えている。

確かに、1892年の卵のクロイツァー価格は、あらゆるものの価値の基準とはなりえない。だが、何もないよりはましだった。

――『傍観者の時代』より

 物差しが変わったとき、変わる前の物差しは誰が持ち続けるのか。祖母の答えは、笑われながらも自分の基準を手放さない、という不器用なものだった。

 私たちがレジの前でつぶやく「昔はいくらだった」も、同じ抵抗の名残なのかもしれない。その一拍は、たぶん無駄ではない。100年前の祖母の頑固さが、そのことを教えてくれる。フロイトやシュンペーターら20世紀の知の巨人たちと並んで、このウィーンのおばあちゃんもまた、忘れがたい登場人物の一人として、ドラッカー唯一の自伝的著作『傍観者の時代』に描かれている。