この薬も、この医師が退官した後、作られなくなって、このときにはずいぶん困った。
私のほうから、この医師に、「こういう薬を作ってほしい」と提案の手紙を書いたこともあった。普通の医師なら、素人の患者から、そういう提案をされるのは、ただうるさがるだけだし、怒る人も少なくないと思う。しかし、この医師は「参考にさせてもらう」という丁寧な返信をくれた。
じつは、そういう薬がその後、出た。私の案が生かされたわけではないだろうが、どんな意見にも耳を傾ける、こういう名医や研究者がいてくれるからこそではないかとは思う。
同じ薬や治療法でも
結果はまるで違ってくる
この医師が言っていたことで、とくに印象に残っているのは、こういう言葉だ。
「この病気に使える薬や治療法は、ある程度、決まっている。だから、どの医師も手持ちのカードは同じだ。でも、そのカードをどう切るかで、結果はぜんぜんちがってくる」
たしかに、カードゲームをするとき、最初の手持ちのカードは同じでも、それをどう切るかで、勝負はぜんぜんちがってくる。まさにそれこそが、ギャンブラーの腕のちがいだ。
ということは、「薬や治療法は同じなら、どの医師にかかっても同じ」ということはなく、どの医師にかかるかで、病気の治り方はぜんぜんちがってくる、ということになる。
実際、その通りだった!薬や治療法はこれまでと同じだったが、それの使い方がちがっていて、治り方がまるでちがった。どんどんよくなっていく上に、副作用がとても少なかった。これは本当に助かった。現代でも、やっぱり、名医っているんだなあと思った。
私が名医と思っただけでなく、この人は大学病院の病院長にもなったし、昭和天皇の手術にも参加した。
そういう人って、政治力ばかりの黒い人物という思い込みがあったが、まったくそういう感じでなく、誰もひきつれずに病室にやってきて雑談したり、とても気さくな人だった。
『六人部屋の十三年間 病室で出会った忘れられない人たち』(頭木弘樹、晶文社)
私が手術に踏み切ったのは、この医師が退官してしまうから、ということも大きかった。迷って、当時の担当医師に、「あなただったら、どうしますか?」と尋ねたところ、「自分だったら、あの先生がいるうちに手術する」と即答された。
この名医に、ある患者が「手術のときは、どんな気持ちなんですか?」と聞いたことがある。私も答えに興味があった。名医はこう答えていた。
「手術台の上の患者の身体を前にすると、さあ、ここが自分が力を発揮する舞台だ、という感じがする」
この医師に手術された患者たちは、この答えに、私も含めて、すぐにリアクションをとることが難しかった。自分の身体が舞台にされてしまうのは、ちょっとつらいものがあった。しかし、そこまで自信を持って活躍しようとしてくれるのは、たのもしくもあった。







