病室で入院患者と笑顔で会話する見舞い客写真はイメージです Photo:PIXTA

見舞いに来た同郷の人物は、筆者を心配していたのではなく、宗教に勧誘するために現れた。その後も、10人以上で押しかけてきた親戚や、退院当日から相次ぐ不審な電話に苦しめられる。13年間の闘病生活で筆者が見聞きした、病人の弱さにつけ込む勧誘の実態とは?※本稿は、文学紹介者の頭木弘樹『六人部屋の十三年間 病室で出会った忘れられない人たち』(晶文社)の一部を抜粋・編集したものです。

病気で心が弱った人は
宗教勧誘のターゲット

 心が弱っている人や、大きな不幸に見舞われた人のところには、宗教の勧誘がやってくる。だから、病人のところにも、当然、やってくる。

 宗教は病人を重要なターゲットとしている。苦悩していて、治りたくて必死なので、勧誘しやすいし、お金を引き出しやすいからだ。

 病気をすると、蜜に引き寄せられる蜂のように、勧誘の人たちが飛んできて、群がる。とくに、西洋医学ではなかなか治らない病気になった人のところには、かなりしつこくやってくる。

 私は難病なので、まさにそれに該当する。だから、私のところにもやってきた。

 入院してまもなく、田舎の同じ高校という男が、病院にお見舞いにやってきた。私が入院しているというのを、たまたま耳にしたということだった。親しくしていた相手ではない。名前も顔も知らない。同じ大学にいることさえ知らなかった。

 同じ高校というだけで、わざわざ見舞いに来るとは、と驚いた。私は出身が同じというだけで親しくしたりするのは好きではないが、このときは少し嬉しく感じた。病院にお見舞いに行くなんて、義理があっても億劫なものだ。ぜんぜん行かなくてもいいのに、やってくるとは、やさしい人だと感心したのだ。