母は、脳梗塞で倒れた父を介護していましたが、てんかんを発症して悪化、意識朦朧状態となりました。その後、一旦は意識が戻ったのですが、脳幹梗塞を起こして植物状態となり、9カ月後に死亡しました。
父は、78歳のときに軽い脳梗塞を起こして要支援となりました。その後、徐々に体幹の維持ができなくなり、90歳になる頃には要介護4で下の世話も必要に。94歳で老衰死しましたが、その半年ほど前から体重が急激に減少し、言葉数も少なくなったため、もう長くないことはわかりました。
母も父も死に至るまでの期間があり、覚悟ができていたために、私の死後の悲嘆は少なくて済みました。しかし弟の死は突然だったため、ショックが大きく、いまだに弟のことを夢に見たり、唐突に思い出したりします。
受けた衝撃の違いは「死の準備性」すなわち、死に対する心の準備ができているか、いないかの違いであり、準備ができていない死ほど衝撃が大きく、なかなか受け入れることができずに、悲嘆が長引くのです。
ピンピンコロリは本当に
「苦しまない死」なのか
少し前に、大学時代に親しかった友人が、心筋梗塞で突然死しました。いわば弟と同様のピンピンコロリですが、「ピンピンコロリでよかった」とは、とても思えません。可愛がっていた犬と一緒に写っていた年賀状の写真が目に浮かんで、つらくなります。彼の家族は、おそらく痛切な悲嘆の中にあるはずです。
また、ピンピンコロリの場合、本人は苦しくないと思っている人が多いようですが、そうではありません。心筋梗塞や脳出血の場合、死の間際には相当な痛みがあるそうで、苦しまないピンピンコロリは実際にはほとんどないことを記した医師の文章をよく見ます。苦しまないイメージがあるのは、苦しんでも本人には意思表示ができず、しかも突然死は人のいないところで起こることが多く、すぐに死んでしまうためでしょう。
ピンピンコロリで、しかも本人も家族も死に対する準備ができるのは、末期のがんでしょう。がんの終末期は長くても1カ月と短く、痛みの問題もほぼクリアできます。







