そしてそんなややこしいことになっているのだったら、この際「嗅」の右側を「臭」に換えてしまったほうが覚えやすいし、教育の場における混乱も防げるのではないか、と考える人がいても不思議ではないでしょう。
しかし実は、ことはそれほど単純ではないのです。試みにお手元のパソコンや携帯電話で「きゅうかく」と打って漢字に変換してみてください。間違いなく「嗅覚」と、つまり「嗅」は《自》+《犬》の形で出るはずで、右側が「臭」になっている字形は、特別の仕掛けをしないかぎり、機械では絶対に表示できません。
ということは、「嗅」を常用漢字に入れるとともに右側を「臭」の形にしてしまうと、新しく常用漢字となった方の字形がパソコンやスマホなどでは表示できないということになってしまいます。
『漢字の大疑問 いつも使っているのに意外と知らない言葉の世界』(日本漢字能力検定協会編、マガジンハウス)
これがとんでもない事態であることは、いうまでもありません。
それならパソコンやスマホで表示される字形を《自》+《大》に換えたらいいではないか、という議論もあります。実際に委員会でそう主張される方もおられました。しかし情報機器で表示される字形は、個人では選べません。
現在の日本で使われているパソコンやスマホ・携帯電話などの情報機器はいったいどれくらいあるでしょうか、おそらく数億台、いやもっとたくさんあるにちがいありません。
さらにまた、これまでに作成された膨大なデータが、さまざまな媒体に保存されています。そのすべての機械で表示される字形を変更することはまず不可能ですから、機械やシステムをいじって字形を変えるという選択肢は現実的ではありません。
それで、改定された常用漢字表では《自》+《犬》の形のままの「嗅」が入りました。
「器」「突」「類」…
簡略化された漢字は多岐にわたる
「臭」と同じように、もともと《犬》だった部分を近年になって《大》にしたという例は、実はほかにもたくさんあって、「器」「突」「類」などに含まれる《大》の部分は、実は旧字体ではすべて《犬》と書かれていました。
いったいなぜそうなったのかというと、それは終戦直後の「当用漢字」ができるだけ簡単な構造で漢字を書けることを追求し、一画でも画数を減らそうとした結果です。
そのために文字本来の構造まで破壊し、本来は許されないはずの簡略化が随所におこりました。それは戦後の混乱期に起こった、漢字にとっての悲劇でした。







