(1)視聴スタイルを選ぶドラマである
全体のトーンとして静かなドラマであり、展開にスピード感があるわけではない。しかしそうでありながら、一瞬たりとも目が離せないドラマである。
1話の冒頭からそうなのだが、夫婦の何気ない日常シーンに見えてそこからすでに伏線になっている。フィナンシェの好き嫌いであるとか、乾燥機が壊れたという他愛もないやり取り。これが後から深い意味を持ってくる。また、会話の中で突然、ある人物からある人物への思いがけない片思いが明かされたりもする。
現代はショート動画全盛時代であり、長尺の映像が好まれづらい。集中力が続かずに、途中でスマホを見てしまう人が少なくない。しかし『Tシャツ…』は、淡々とした日常シーンでついつい目を離すと、重要な伏線とその回収を見落とす可能性がある。集中して見ている人とそうでない人では視聴後の感想が異なるだろう。
作品に没頭したい人には向いているが、スカッとするエンタメ作品をなんとなくながら見したい人には向いていないのだ。
登場人物が多いわけではないし、「バス事故に遭った2人はどういう関係だったのか」が最大の謎であるというストーリーは一見シンプルだ。しかし過去と現在が入り混じる構成や独特な会話劇を読み解くには、思った以上に想像力と分析力を必要とする。
静かな画面の中に「ながら見なんて許さないよ」という制作側の意気込みが見えるかのようである。
(2)「わかりやすさ」のないドラマを楽しめるか
不倫がドラマで描かれる場合、どうしても「不倫は悪か否か」とか、「悪いとわかっていても不倫してしまう人の心理」に焦点が合わされやすい。
しかし『Tシャツが乾くまで』は、充とあずさが不倫をしていたのかどうか、決定的な証拠がない。状況は不倫を疑わせるものなのだが、回想の中の充とあずさは、不倫をするような人物像とはどうも異なっている。
さらに、咲子は夫が不倫したと思っていないし、樹生からいくつかの「証拠」を突きつけられても、夫やその相手を責めるよりも自分を責めている。ドロドロの不倫劇を見慣れた視聴者からすると、どこへ行き着くのかわからない。先の読めない物語である。
だからこそ考察が捗る。逆に言えば、「不倫した側=悪、不倫された側=被害者」というわかりやすい構図を求める人には向いていない。
ライターの佐藤結衣氏は、「『Tシャツが乾くまで』“ちょうどいい”は誰の基準? 視聴者の考察を誘う“余白”の巧みさ」(リアルサウンド・7月18日)という記事の中で「ヒューマンドラマとも、ラブストーリーとも、サスペンスとも、簡単にはカテゴライズできない。その曖昧さのなかに、私たちが思考する余白がある」と分析している。
予定調和ではない、なんだかよくわからない「余白」を楽しめるかどうかが試されている。







