「中国建国の秘密」とは?
習体制において「中国国外へ出ること」がなぜそれほど大きな意味を持つのか。そのヒントは、近代中国史にある。
清朝末期、清を改革し、やがて中国の近代を切り拓いた思想と人脈の重要な一部は、国外に出た中国人たちによって形成された。しかも、その思想や人脈の形成などにおいて、日本が重要な経由地となった。
戊戌の政変で日本へ亡命した梁啓超(1873-1929、清末民初のジャーナリスト)は横浜で雑誌を発行して立憲思想を広め、孫文は東京で中国同盟会を結成して日本を革命運動の拠点とした。辛亥革命を担った人的ネットワークの少なからぬ部分が、日本を経由して形成されたものである。
もちろん、清朝打倒から中華民国成立、中国共産党の結成、そして1949年の中華人民共和国成立までを、1つの思想的系譜として直線的に結ぶことはできない。それぞれ思想も目的も異なる。
だが、近代中国の政治変革を振り返ると、「国外で新しい思想や政治制度に触れた中国人が、それを国内へ持ち帰る」という仕組みが、大きな役割を果たしてきたことは確かだ。
初期の中国共産主義運動にも、国内の知識人だけでなく、日本や欧州など国外にいた中国人留学生や活動家のネットワークが関わっている。こうした歴史を振り返ると、近代中国の政治変革には、ある「建国の秘密」ともいうべきパターンが見えてくる。
ここでいう「建国の秘密」とは、近代中国において旧体制を揺さぶり、新しい政治を生み出してきた思想や運動が、しばしば国外との接触を通じて育ち、それが国内へ還流することで大きな力を持ってきたことだ。それは、現在の中国も同様である。
梁啓超にとっての横浜と、蔡霞氏にとってのアメリカでは、時代も思想もまったく違うが、「国内では得にくい思想や言論の自由を国外で獲得し、それを中国へ向けて発信する」という機能は共通している。
「出国を封じる」とは、人の移動を止めることだけではなく、「外で思想を得て、それを内へ還流させる」という近代中国史で繰り返されてきたパターンを止めようとする試みである。鎖国化の本質は、地理的閉鎖以上に思想管理にある。
この視点に立つと、蔡霞氏と、かつての天安門広場の学生たちにも一つの共通点が見える。
天安門運動の参加者の思想や要求は決して一様ではなかった。だが、その中には体制そのものの打倒ではなく、腐敗の是正、言論の自由、政治改革などを共産党に要求した学生や市民も少なくなかった。蔡霞氏もまた、自分が党を捨てたのではなく、党の側が本来の理念から離れてしまったのだという立場から習体制を批判してきた。
体制側にとって厄介なのは、「体制を否定する者」以上に、「本来あるべき党の姿」といった正論で権力を批判する「良心的存在」である。なぜなら、現在の中国において、習体制ほど良心的存在の批判になりうる対象は存在しないからである。







