信長から北陸を任された「重臣」

 その後、姉川の戦いや長島一向一揆、比叡山焼き討ちなど、織田家の主要な戦いに参加。足利義昭が信長に反旗を翻した際には、総大将として戦ったとも記録されています。

 やがて信長が越前を制圧すると、勝家には、北陸方面の攻略が任されました。

 北ノ庄城を拠点に、前田利家、佐々成政、不破光治らを与力として率い、加賀一向一揆と戦いました。上杉謙信との手取川の戦いでは敗北したものの、その後も北陸攻略を進め、加賀一向一揆を平定するなど、大きな成果を上げています。

 加賀一向一揆を平定した功績を信長から称えられ、茶を振る舞われ、姥口という名物の釜を下賜された、という逸話も残っています。

本能寺の変が、勝家の運命を変えた

 しかし、翌天正10年(1582)、本能寺の変が起こります。

 信長が明智光秀に討たれたとき、勝家は北陸戦線にいたため、秀吉のように、中国大返しをして弔い合戦に参加するということは、できませんでした。

 その結果、清洲会議を経て、秀吉が、織田家中で急速に勢力を伸ばしていきます。

「信長と戦った男」がなぜ?「鬼柴田」と呼ばれた柴田勝家が、信長に最も信頼されたワケ〈大河ドラマ「豊臣兄弟!」第30&31回〉柴田勝家は秀吉と激しく対立する (C)NHK

 興味深いのは、勝家が、当初から秀吉との戦いを望んでいたわけではなかったことです。残された書状からは、織田家の敵が、まだ各地にいる以上、家臣同士で争うべきではなく、秀吉とも話し合うべきだ、という勝家の考えがうかがえます。

 しかし、その慎重な姿勢が、結果として出遅れにつながり、賤ヶ岳の戦いで、秀吉に敗北してしまうことになったのです。