NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』より (C)NHK秀吉は、山崎の戦いに遅刻していた……? (C)NHK

歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第29回のタイトルは「天下への道」。中国大返しで京へ駆け戻った秀吉が、明智光秀を討ち破り、織田信長の仇討ちを果たしたことで知られる「山崎の戦い」ですが、実は秀吉自身は決戦に間に合っていなかった。しかも、決戦に遅刻したばかりか、戦果まで捏造していた――という衝撃の新説が、2026年に発表され話題を呼んでいます。ならば、実際に光秀を破ったのは一体誰だったのか?定説の裏に隠された真相に迫ります。(かしまし歴史チャンネル/川合章子)

秀吉は、山崎の戦いに遅刻していた?

 織田信長が倒れた「本能寺の変」の後、天才的なスピードで京へと引き返した羽柴秀吉の「中国大返し」。そして、主君の仇である明智光秀を討ち果たした「山崎の戦い」。これらは誰もが知る戦国時代のクライマックスであり、秀吉の天下取りを決定づけた、名勝負として語り継がれてきました。

 しかし2026年、この定説を根本から覆す、衝撃の新説が発表され、歴史ファンの間で大きな話題を呼んでいます。なんと、「秀吉の軍は山崎の戦いに間に合わず、遅刻していた」というのです。さらに、秀吉が、自身の遅刻をごまかすために「戦果を捏造していた」というエグい裏側まで見えてきました。

 ここでは、従来の定説と最新の研究から見えてきた、「山崎の戦い」のリアルな真実に迫りたいと思います。

羽柴秀吉(右、演:池松壮亮)が明智光秀(左、演:要 潤)を破った山崎の戦い。昔は「天王山の戦い」「天下分け目の天王山」と呼ばれていました (C)NHK羽柴秀吉(右、演:池松壮亮)が明智光秀(左、演:要 潤)を破ったのが「山崎の戦い」。昔は「天王山の戦い」「天下分け目の天王山」と呼ばれていた (C)NHK