最後に残る、一つの問い

 ここまでの議論の最後に、一つの問いを残したいと思います。

 「顧客の感情の記憶に働き掛ける」という営みは、突き詰めると、一つの問いに行き着きます。顧客の感情の記憶とは、顧客が「どんな自分になっていくか」という過程そのものです。日々の体験を通じて、顧客は少しずつ自分自身をつくり直し続けています。ブランドとの関わりは、そのつくり直しに参加する営みでもあります。

 だとすれば、私たちの仕事の核心は、こう言い換えられます。

 「私たちは、誰のどんな変容を助けるのか。そのために、私たちはどう変容するのか」

 前半は外への問いです。顧客はどんな自分になろうとしているのか。その過程を私たちはどう支えるのか。この問いがブランドとCXをつなぐサイクル、3層構造、1本の線、その全ての出発点にあります。

 後半は内への問いです。顧客の変容を助けるために、自分たちは何をやめ、何に賭けるのか。どの前提を手放し、どの認識を持ち直すのか。

 そして、この二つの問いを切り離せると考えること自体が、もう一つの手放すべき前提です。多くの組織では、顧客戦略と組織変革が別々のプロジェクトとして動いています。外への取り組みと内への取り組みが、別の部門、別の予算、別の時間軸で進んでいるのです。

 しかし、二つは表裏一体です。顧客の変容を助けるためには、自分たちも変容しなければならない。自分たちが変容するためには、誰の変容を助けるのかを決めなければならない。二つは循環し、互いを支えています。どちらか一方だけを追求しても、動きは止まってしまいます。

 外への問いと内への問いを、同時に、一つの問いとして抱えられる組織だけが、顧客との本物の関係性を、時間をかけて築いていけると私は考えています。

前提を手放した企業の実践を取材します

 ここまで見てきたように、ブランドとCXを分断していたのは、組織の形そのものではなく、私たちの前提でした。そしてその前提は、一度理解すれば終わりではありません。日々の意思決定の中で何度でも戻ってきます。だからこそ問いはここでは終わりません。

 あなたの今日の意思決定は、誰を主語にしているでしょうか。企業でしょうか。それとも、顧客の感情の記憶でしょうか。この問いに向き合うことからしか、変化は始まりません。

 「ブランドとは、顧客の感情の記憶である」

 この原理を受け入れたとき、CXは経営アジェンダの周辺業務から、中心議題へと位置を変えます。顧客の感情の記憶に資産が積み上がっているか。意味と人格の層まで届いているか。1本の線がガードレールとして機能しているか。これらは全て、経営の中心で議論されるべき問いです。そしてその議論はブランドの議論と完全に重なります。

 では、組織としてその営みをどう実践するのか。

 次回からは、『いちばんやさしいCX経営の教科書』で示した、CXの実践を支える「5つの力」に沿って、前提を手放してきた企業の実践の現場を訪ねます。各回では、次の問いを手がかりにしたいと思います。その実践の過程で、デザインはどのような役割を果たしたのか。

 デザインは、多くの組織で「見た目を整える仕事」として理解されています。しかし、原理を生きている企業を訪ねてみると、デザインはまったく別の場所で働いています。デザインの仕事ではないと思われていた領域に、実はデザインがあった。デザインという言葉を使わずに、デザインの仕事をしていた。そういう姿が繰り返し見えてきます。長年デザインに携わってきた私にとって、これは見過ごせない事実です。

 実践に携わった人たちが何を見て、何を選び、何を手放してきたのか。その姿の中に、私自身も、まだ言葉にできていない何かを見つけたいと思っています。

 引き続き、お付き合いいただければ幸いです。

(第6回に続く)
第1回から読む)