当時、この出来事は話題となり、さまざまな意見が飛び交いました。ビンティは動物園で生まれ、飼育員、つまり人間に育てられたゴリラです。人形遊びもしたことがあるゴリラだから、そのつもりで抱き上げたのだという意見も多くありましたが、ゴリラやチンパンジーなどの専門家や研究者の意見は違いました。

 ビンティは「この小さな存在が危機に瀕していること」を理解し、最短で救える方法を考えて行動したのだと。その根拠として、ホースで水を浴びせられる中、躊躇なく男の子のところに向かっていったからです。

 しかも、抱き上げたあとに飼育員の出入り口の脇に男の子をそっと置くことまでしている。最も安全な場所へ送り届けたその一連の動作には、明確に「助けたい」という意思があふれている。男の子を危機から救ってあげたいという気持ちがなければそうはしないだろう、というのです。

 私も、ビンティがどうすれば男の子を助けられるかを考えて動いたという意見に賛成です。

人間とゴリラで異なる
「高い認知能力」の使い方

 ベートーベンが見せた知恵、そしてビンティが見せた献身。これらの行動は、私たち人間がともすると忘れかけている「利他」の精神を、鮮やかに照らし出してくれます。

『ゴリラ・イルカの仲間を信じる力』書影ゴリラ・イルカの仲間を信じる力』(山極寿一、田島木綿子 青春新書インテリジェンス、青春出版社)

 人類が共有してきた普遍の道徳ともいえる「相手の立場に立って考える」という倫理は、自分を基準にするのではなく、他者との関係性の中に自分を置くことで成り立ちます。

 人間は長い歴史の中で、この「共感」と「同情」を土台にして、互いに助け合う社会を築き上げてきました。しかし、皮肉なことに、相手の気持ちがわかるという能力は、使い方を誤れば「どうすれば相手を最も傷つけられるか」を知る武器にもなってしまいます。

 現代社会に蔓延するいじめや孤独、ギスギスした空気は、私たちが持つ高い認知能力がマイナスの方向に働いてしまった結果でしょう。

 ゴリラたちは、その高い認知能力をけっして「相手を陥れるため」には使いません。彼らの社会を見つめていると、相手の置かれた状況を察する力は、常に群れの平穏と、誰かを救うために捧げられているのです。