なぜ、自信満々にウソをつく人ほど注目され、慎重に考える人ほど目立たないのでしょうか。その背景には、「ペラペラ話せる人=わかっている人」と錯覚してしまう私たちの側の問題があります。言葉は、わかっていなくても使えてしまうのです。本記事では、書籍『言語化だけじゃ伝わんない ―― 絵を描くように「考える・伝える」技術』の中からビジネスパーソンにも役立つノウハウとして紹介する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

「ペラペラ話せる人」は、本当に頭がいいのか
世の中には、驚くほどスラスラと話せる人がいます。
どんな質問をされても、すぐに答える。
難しそうなテーマについても、自信満々に語る。
話が途切れない。
そんな人を目の前にすると、「頭の回転が速いな」「この人はよくわかっているな」と思ってしまいます。
反対に、質問されて、「うーん……」と考え込む人を見ると、なんとなく頼りなく感じる。
「よくわかっていないのかな」と思ってしまうこともあります。
でも、本当にそうなのでしょうか。
人は、自分がイメージできていない言葉でも、軽々と使うことができます。
先ほど書いたとおり、「アレもコレも同じだ」と思えば、雑にひとまとめにできます。
そして、聞き手もまた、自分がイメージできない言葉を簡単にわかってしまいます。
ふわっとした理解で受け止めてしまうのです。
イメージできない言葉を簡単に「わかった」と思ってしまうせいで、話し手はペラペラと大ウソをつくことができます。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
言葉は、その中身を知らなくても使えてしまう。
「成長」「成功」「豊かさ」「イノベーション」「未来」「自由」…。こうした言葉について、具体的な中身をイメージできなくても、文章をつくることはできます。
「これからは○○の時代です」
「○○を身につければ人生が変わります」
「これをやれば必ず成長できます」
と、いくらでも言えるのです。
「具体的にどういうこと?」と聞くと、ウソは弱くなる
たとえば、「これから○○市場は爆発的に成長します」と言われたとします。
なんとなく、すごそうです。
でも、「爆発的って、具体的に何%ですか?」「どの地域で?」「誰が買うんですか?」「その予測の根拠は?」と聞いていけば、話は変わってきます。
ぼんやりしていた言葉が、少しずつ現実に引き戻されるからです。
つまり、ウソは「ふわっとした言葉」と非常に相性がいい。反対に、具体的な事実とは相性が悪いのです。
なぜ、ウソつきが得をするのか
ところが、今の情報環境では、細かく確認する人より、断言する人のほうが目立ちやすくなっています。
「場合によります」「まだわかりません」「そこについては知識がありません」「もう少し調べないと判断できません」…。こうした発言は、地味です。
一方で、「絶対にこうなる!」「知らないと損!」「これだけやればいい!」と言い切ったほうが目を引きます。
慎重に考えれば考えるほど、断言できなくなる。
でも、何も考えずに話せば、いくらでも断言できる。
ここに厄介な逆転現象があります。
他人を傷つけるウソで注目を集める。
自分の行動の非を認めずにウソでごまかす。
イメージができない未来を、さも確実に起こるかのように言ってモノを売る。
ウソをつきたくない真面目な人は、沈黙している。
でも、沈黙していれば、その人の考えは「ないもの」として扱われます。
発言や映像を頻繁に投稿する「饒舌な人」以外は目に見えないからです。
こんな時代に少しでも抗いたい。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
ここで重要なのは、単に「ウソつきが増えた」という話ではありません。
饒舌な人が圧倒的に見えやすくなったということです。
SNSを開けば、発信する人の言葉が並びます。
そういう人ほど、私たちの視界に入り続けます。逆に、何も発信しない人は見えません。
「見えない人」は、存在しないことになってしまう
ここには大きな錯覚があります。
目立っている人が「世の中の代表」に見えてしまうことです。
しかし実際には、黙っている人が大量にいます。
SNSで毎日、自分の仕事論を語る人がいる。
その陰には、仕事論など一度も発信せず、毎日淡々と仕事をしている人がいる。
経営について毎日のように語る人がいる。
その一方で、何も語らず、社員の給料を払い続けている経営者もいる。
「これからの働き方」を語る人がいる。
その陰で、今日も電車を動かしている人がいる。
その人たちがSNSで何も言わなければ、私たちのタイムラインには出てきません。
だからといって、存在していないわけではないのです。
「見えるもの」と「存在するもの」は違います。
ここを取り違えると、饒舌な人たちだけで世界ができているように錯覚してしまいます。
「わからない」を怖がらない
では、どうすればいいのでしょうか。
必要なのは、もっと話し上手になることではありません。
むしろ、簡単に「わかった」と思わないことです。
何もイメージが描けない言葉なら納得する必要はない。
自分が知っていることだけを話す。自分で考えたことをゆっくりと話す。
わからないことがあればわからないと自信を持って言えるようになる。
知らないことがあれば、「なにそれ?」と聞くことができる。
考えていなかったなら、「考えていなかった」と言えるようになる。
私たちの生活が平和で快適なのは、目に見えない場所で黙々と働いている人たちがいるからです。
ペラペラと話したり、饒舌に動画を投稿し続けたりする人の陰に隠れている人がどこかにいるはずです。直接は話せなくても、そこに人がいる。それを意識して、目を向けることが大事だと思っています。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
「わかりません」は、恥ずかしい言葉ではありません。
「知りません」も同じです。
「考えたことがありません」
「それは確認しないと答えられません」
そう言えるのは、自分が知っている範囲と知らない範囲を区別できているということでもあります。
むしろ危ないのは、何でもすぐに「わかる」ことです。
「言葉のうまさ」と「正しさ」を分けて考える
これから私たちに必要なのは、話している人の「うまさ」に惑わされないことなのかもしれません。
スラスラ話している。難しい言葉を知っている。フォロワーが多い。毎日発信している。
それらは、その人の話が正しいことを保証してくれません。
反対に、言葉に詰まる。慎重に話す。「わからない」と言う。発信をほとんどしない。
だからといって、その人に考えがないわけでもありません。
私たちの目に見えないものは、世の中に大量にあります。
「よく話す人」だけを見て、世界を理解したつもりにならないこと。
そして、目の前の言葉から具体的なイメージが何も浮かばないのであれば、無理に「わかった」と思わないこと。
「それって、具体的にはどういうこと?」「なにそれ?」「わからない」
そう言えるだけで、薄っぺらいウソはずいぶん見抜きやすくなります。
ウソつきが得をする時代だからこそ、必要なのは「もっと上手にしゃべること」ではありません。
簡単にわかった気にならず、目の前の現実をきちんと見ること。
そして、饒舌な人の陰にいる「見えない人」の存在を忘れないことなのです。
1981年静岡県生まれ。制作会社にて、雑誌タイアップ広告の制作進行を務めたのち、フリーランスのライターを経験。国際情勢関連の英日翻訳をやりながら、2011年からイラストレーターの活動をスタート。現在は書籍・雑誌・広告など幅広く活動中。特に、ビジネス書や新書での挿絵や図解を担当することが多く、10年以上、活躍している。
これまで、装画・イラストを担当した書籍は200冊以上。『言語化だけじゃ伝わんない ―― 絵を描くように「考える・伝える」技術』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。




