面談で相手の話を聞く女性写真はイメージです Photo:PIXTA

言葉が止まったそのとき、相手のなかでは何かが動いているのかもしれない。言いにくいことをどう伝えるか迷い、自分でもまだ形になっていない思いを探している。やがてそこから、本人にも意外な言葉が生まれ、話が深まることがある。人の話を本当に「聴く」とはどういうことなのかを考える。※本稿は、現象学者の村上靖彦『生き延びるための会話 他者と生きることの哲学』(SBクリエイティブ)の一部を抜粋・編集したものです。

沈黙への向き合い方が
会話と対話を分ける

 対話とはいったい何なのか。「対話とは沈黙を尊重する会話である」という定義を、僕は試みたい。

 会話の場合、機関銃のようにしゃべりつづけることもあれば、相手の言葉をしっかり聴かないままに、言いたいことを双方が語るがゆえにちぐはぐなこともある。

 これに対して対話は、丁寧に聴くことを含む。相手の言葉を丁寧に聴き、考えて応答する対話においては、沈黙がはさまる。それゆえまず、沈黙について少し触れたい。

 沈黙から見ると、会話と対話は対照的だ。会話にはさまる沈黙は気まずい。気まずさを避けるためについ言葉をはさんでしまう。会話にとっては流れていくことが大事なので、沈黙は避けられがちだ。しかし、沈黙が尊重されたとき、会話は対話へと変わる。

 会話に沈黙がはさまるのは、言いにくいこと、言葉にできないことがあるからだ。沈黙された内容を語りだすことが、つねによいわけではない。しかし沈黙を含む対話は、言葉にできない内容を言葉へともたらそうとする営みとなる。AIには、ただ演算を待つ数秒の時間があるだけで、押し黙った沈黙がない。このことだけでも、対話が人間独自の営みであることがわかる。

 僕はもともと、日常生活でも話し下手で聴き役に回ることが多いので、黙って誰かの話を聴きつづけることが多かった。さらに、沈黙の意味について考えるきっかけとなったのは、学生たちの話を聴くなかで長い沈黙がはさまることが多かったからだ。沈黙をじっと待っていると、何かの言葉が生まれてくる。

 そのように生まれた言葉は、それを発した本人にとっても意外な言葉であり、大きな気づきとなることもある。あるいは、「美術館でも行ってみたら?」のような、一見関係なさそうなアドバイスをすることもあるが、それが案外効果をもつこともある。

 もちろん、1回話を聴いただけでは、何もわからないかもしれない。しかし、沈黙をはらむ面談は、僕が何も語らなくてもだんだんと言葉と気づきを学生自身が手にする。

 沈黙を待って言葉が生まれてくる対話を何年か重ねていると、沈黙している学生自身が自分自身の方向性をそのつど見つけていく。

 彼らから、対話とは沈黙から言葉が生まれる出来事なのだと教わった。対話の本質とは、言葉を語ることではなく、2人のあいだで沈黙を抱え込むことにある。