2人が押し黙っていても
対話は成立している
対話は「二重の沈黙」をベースとしている。
対話はまず、聴き手の沈黙を要請する。臨床心理学者の東畑開人は、次のように書いている。
《みんな沈黙に弱いんですよ。間ができると、魔が差すとでも思っているかのようです。慌てて、言葉を継ぎ足ししてしまうんですね。これは場を気まずくさせないためにはいいのかもしれないけれど、聞くためにはよくない。(『雨の日の心理学』177~178頁)》
聴き手の沈黙があるときに、語り手が安心して語り、そして沈黙できる(もちろん語り手と聴き手は交替しうる)。聴き手がゆっくり聴いてくれなかったら、語り手は立てつづけに言葉を発しつづけないといけない。聴き手の沈黙こそが対話の条件だ。
語り手は沈黙のなかから、今まで言葉にしたことがなかった内容を語りだす。インタビューを重ねていると、人生の大事な出来事や考えてきたことについて、今まで人には語ってこなかったのだと打ち明ける人がいる。大事なことだったのに今まで言葉にしていなかったことを語りだそうとするときに、沈黙がはさまるのだ。
『生き延びるための会話 他者と生きることの哲学』(村上靖彦、SBクリエイティブ)
聴き手と語り手の双方が沈黙を尊重したとき、聴き手にとってだけでなく語り手にとっても、予想外の仕方で新しい言葉が生まれてくる。あるいは、言葉が生まれないまま沈黙がつづくこともある。
過去の自分について振り返っているときでさえ、何か新しい姿が生まれてくる。対話では言葉にすることが難しい込み入った状況や、あいまいな状況に対して新しい言葉が生まれる。語りださなくてもよい。そして沈黙のままだったとしても、そこには意味がある。
言葉は浮かんでいても、相手に伝えることが安全ではないこともあろう。そもそも言葉が思い浮かばないこともある。言葉になるにはまだ機が熟していないこともあろうし、もしかすると深い傷に関わるときには、言葉にしないでおいたほうがよいこともあろう。言葉にならないということは尊重されるべきだ。2人が押し黙ったままで佇むこともまた対話である。







