沈黙は次の言葉を生みだす
ための「助走」である
もうひとつ、個人的な経験から綴りたい。
僕は2010年頃から、対人援助職へインタビューをする研究を始め、徹底的な聴き手に回るという経験を重ねている。今まで100人近くの人にインタビューをお願いし、逐語録(インタビューをすべて文字に起こした記録)を詳細に分析してきた。わかったのは、すべてのインタビューで例外なく語り手の沈黙がはさまるということだ。
インタビューでは少なくとも、はじめの1時間は僕が沈黙をつづける。せいぜい、合いの手をはさむくらいだ。そうすると、大体みなさん思いついたことを思いつく順番で語っていく。語り手の沈黙がはさまるとき、それはあくまで次に生まれる言葉のための助走である。
沈黙につづいて言葉が生まれるときには、内容が深まることが多い。同じ出来事について何度も繰り返し語るのだが、小休止をはさみながら繰り返されるごとに、さらに詳細に語り直され深められるインタビューもあった。
沈黙をはさんで、話題が変わることもある。ひとしきり語り終わったあとで、僕はわからなかった単語や気になった事柄について質問をしていく(あらかじめ質問を用意することはない)。そうすると、2時間ほどの時間があっという間に過ぎる。
インタビューにおいて、僕自身は沈黙したまま聴くことを大事にしている。語り手が沈黙するときには、その沈黙にこそ意味があるからだ。
語りだすことを迷う大事な内容のこともあれば、言葉を見つけるのが難しい内容のこともある。複数の文脈が頭のなかで錯綜しているがゆえに、言葉が出てこないこともある。
聴き手の沈黙は、待つ経験だ。語り手の言葉を待ち、思いがけない言葉に驚く準備をすること、予想を超えた言葉が到来することを待つことが聴くという経験。予想できない何かがやってくるのを待つというのは奇妙だが、実際そういうことが起きる。
対話とは、言葉を丁寧に聴く経験であるとともに、沈黙のなかで未知の言葉を待つ経験でもある。







