ちょっとした人生観の訂正で、思考を解放し、思考の自由を得ることができるのです。

他人が自分をどう見ているかは
精神科医にもわからない

 さて、そうやって思考の自由を得ることができたとしても、やはり人にバカと思われるのではないか、嫌われるのではないかという不安から、自由に発想できない人もいることでしょう。

 これについて、ベストセラー『嫌われる勇気』で有名になったアドラーという精神科医は、「人目の奴隷になるな」と喝破したわけですが、認知療法という心の治療法でも、相手の気持ちや考えを決めつけることを「読心」と呼び、心に悪い思考法の一つと考えられています。

 実際、精神科医を長年やってきた私でも、相手が自分のことをどう思っているかなどというのは、本当のところはわからないものです。

 患者さんなどに後から聞くと、実はあのとき本当はものすごく腹を立てていたとわかることもありますし、逆に、いつもブスッと不機嫌そうにしていた患者さんが、当初からこちらにものすごく好感をもっていたと教えてくれることもあります。

 こんなことを言ったら嫌われるのではないかと思うようなことでも、口に出してみたら、場の空気を壊してもらってありがたかったと感謝されることもあるし、実際に嫌われることもあるでしょう。さらにやっかいなのは「面白いアイディアじゃないか」とニコニコと受け入れてくれた人だって、腹の中では不快に思っていることもあるということです。

 結局、人がどう思うかは本当のところはわからないし、こちらがどんなに予想したとしても、その通りになるとは限らないと開き直るしかないと私は考えています。

 相手の気持ちがわかるなんて思うのも、相手がどう反応するかと予想するのも、うぬぼれだとしか思えないのです。

 もちろん、そういう人の気持ちがわかることや、人の反応を予想するのに長けた人はいるでしょう。

 そういう人であっても、かなりの確率で読み違いをしているはずだというのが私の観察です。

 しょせん、相手の気持ちなんかわかるはずないし、相手の反応なんか予想できるものではないと開き直ったほうが、ビクビクしながら発言するよりよほど自由でいられるものです。