部下を育てる話と、子どもを育てる話は、どこか似ている。少なくとも、両方をやってみて私はそう感じている。子どもには自分で考えられる人になってほしい。そう願わない親はいないだろう。ところが、その願いが強い家庭ほど、子どもが親の顔色ばかり窺うようになることがある。アパレル史上最年少で上場した株式会社yutori社長・片石貴展氏は、著書『自分の言葉で話せるようになりましょう。』で、自分で考えて動く人の育て方を説く。子育て中の一人の親として読むと、そのまま家庭に持ち帰れる話だった。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局/淡路勇介)
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「自分の話」が、子ども(部下)から考える力を奪う
自分で考えられない子の親が、つい言ってしまう口ぐせがある。
「お母さん(お父さん)はこうやってきた」
このように、自分の経験を語ってしまうことである。悪意はない。むしろ、自分が苦労して手に入れたものを子どもに渡してあげたい、という愛情ゆえだろう。
それでも、この言葉は子どもの意識を、自分の内側ではなく親のほうへ向けてしまう。
親は何を正解と思っているか、どうすれば喜ぶか。子どもは、そこを基準に判断するようになっていく。
片石氏は、これを上司と部下の関係で説明している。
「いい子(いい部下)」のまま、時間だけが過ぎていく
片石氏の会社では、部下に「俺について来い」と自分のやり方を押しつけるタイプの上司を、望ましくないものとしている。そういう上司のもとで何が起きるか。本人はこう書く。
これを家庭に置き換えたとき、私は少しひやりとした。
親の正解に合わせて動き、親の喜びそうな結果を出す。その子は「いい子」と評価されるかもしれない。ただ、自分で考える機会だけが、ずっと訪れない。
「なんで、そう思ったの?」と聞けるか
では、どうすればいいのか。
片石氏の答えはシンプルだ。自分の話をする代わりに、問いを返す。
「なんで、そう思ったんだろう?」。答えを引き出すためではなく、子ども自身が自分の姿を見るための、鏡のような問いだという。
ただし、同じ問いでも、詰めるように投げると逆効果になる。
裁く側ではなく、隣に座る。
自分の経験を語りたくなったら、いったん飲み込んで、「どう思った?」と聞いてみる。子どもが自分の言葉にたどり着いたあとなら、そのとき初めて、親の経験も届く言葉になる。
会社でそれを試してみて、私は家でも同じことをするようになった。









