また、ローゼンハンたちは入院中の「非人間的な扱い」についても報告しています。持ち物を勝手に調べられたり、トイレを観察されたりといったプライバシーの侵害、さらには職員が患者を「物」のように扱い、本人の前でいないかのように噂話をしたり、中には虐待を行う職員もいたと報告されています。
とはいえ、これは古い時代の実験です。現在は、そうではないのでご安心ください。
偽患者が来ると告げられた病院は
誰を「偽物」と判断したのか
冒頭で述べた通り、ローゼンハンはこの結果を「狂気の場所で正気でいること(on being sane in insane places)」という論文タイトルで、『サイエンス』に報告しました。
当然ながら、この論文を知った当の精神科医や病院側は激怒しました。秘密裏に行われた実験によって、「あなたは健康な人を病人と診断している」と突きつけられたわけですから、歯科医に対して「あんた、健康な歯を削っているだろ!」と言うようなものです。これを聞いた別の病院が「うちではそんなことはない!」とローゼンハンに挑戦状を叩き付け、2つ目の実験が始まりました。
まず、ローゼンハンは病院にこう伝えました。「3カ月の間に1名以上の偽精神障害者に入院を試みさせるので、病院職員は見破ってみろ」と。今度は逆に偽物が来るよと事前に告知したのです。
これを受け、期間終了後病院側は入院した193名の患者のうち、41名を「偽物」と断定し、さらに42人を「疑いあり」と判断しました。
……いや多くない?これ外すのが怖過ぎて、大多数をとりあえず疑っているだけでは……。まぁこれだけ大人数を偽物と断定すれば、わりと当たってそうな気もしますね。
ところが、正答率は0%でした。なぜなら、ローゼンハンは1人も偽の患者を送り込んでいなかったからです。
この2つの実験結果から、ローゼンハンは「精神科病院において、狂気と正気を区別することは出来ない」と結論づけ、レッテルを貼ることによる決めつけや偏見の危険性を明らかにしました。
何度も言いますが、これは当時の話ですから、現代と混同されないようにお気をつけください。
ローゼンハンが問題視した
“誤診を認めない体質”
『生命・地球・植物・動物・宇宙をめぐる46億年の物語 科学の教養大全』(九和 律 Gakken)
さて、これでは「異常者のふりをして罪を逃れることが出来るのではないか」という懸念も生まれます。しかし、現代の日本の法律では、最終的な責任能力の有無を決めるのは、医師ではなく裁判所です。医師の意見はあくまで参考であり、物証から反対の認定が行われることもありますので、ご安心を。
またこのような結果になったのは、本来医学は「患者が嘘をつかない」という前提で進歩してきたため、とも言えます。患者に嘘の症状を話されてしまったら、誤った診断が下るのは当然です。
ローゼンハンの時代、精神疾患は一度診断されると「治らないもの」と見なされる傾向がありました。だからこそ、彼は医師が誤診を認めない体質を、最も問題視したのです。精神疾患を抱える方にとって、精神科医は大きな頼りですが、同時に一度貼ると剥がせないラベルを貼ってしまう存在にもなり得ます。すぐれた医者とは、正しい診断を最も多く下す人ではなく、誤った診断をすばやく見つけ、それを直ちに改めることの出来る人なのです。







