写真はイメージです Photo:PIXTA
病気を正確に見抜くことは、医師にとって重要な仕事の一つだ。では、問診や患者の様子の観察が診断に大きな役割を果たす精神疾患では、医師は「健常」と「異常」をどこまで正確に見分けられるのだろうか。この問いに真正面から挑んだ大胆な実験が、かつて科学誌『サイエンス』で発表され、大きな議論を呼んだ。※本稿は、YouTuberの九和 律『生命・地球・植物・動物・宇宙をめぐる46億年の物語 科学の教養大全』(Gakken)の一部を抜粋・編集したものです。
精神科医の診断力を問う
大胆な実験が始まった
ただの風邪とがんを見間違えるような、いわゆる「ヤブ医者」は、現代にはそう存在しません。しかし、その中でも、素人考えでは判断が非常に難しい症状を日々診断している人たちがいます。
それは、精神科医です。
彼らは一体、どのようにして「健常者」と「異常者」を見抜いているのでしょうか。
同じことを思った科学者が存在します。精神科医の判断は本当に正しいのか?を確かめるために行われた、「精神科医vs精神障害者のなりすまし」という社会実験、通称「ローゼンハン実験」と言われているものです。
この実験は1973年、『ネイチャー』と並んで最も信頼される学術誌である『サイエンス』にて発表された研究です。その内容は「精神科医は、本当に健常者と精神障害者を見分けられるのか」という、精神科医に対して真っ向から挑戦するようなものでした。
というのも、精神科医は裁判などで刑事責任能力の有無や、囚人が更生する可能性を分析・判断することが多くあります。言い換えれば、精神科医の「さじ加減」でその人の人生が決まることもあるのです。その意味で、精神科医は強力な社会支配力を持っています。
ローゼンハンは、このような巨大な権力に対して精神科医の技量が本当にふさわしいものなのか、かねてから疑問を抱いていました。そこで確認のための実験を行ったのです。
ローゼンハンは2つの実験を実施しました。1つ目は、「精神障害者のふりをして精神科病院に入院出来るか」というものです。なりすましを行う偽の精神障害者は、大学院生や主婦、画家や心理学者などの協力者7名と、ローゼンハン自身を含む計8名でした。
「幻聴が聞こえるふり」
それ以外は普通なのに全員入院
では、どのようにして精神障害者に「なりすます」のでしょうか。方法は非常に単純で、「幻聴が聞こえるふり」をすることでした。具体的には、精神科医に対して「声が聞こえる」「ドスンという音が聞こえる」と伝えるだけです。なんと、これだけです。幻聴の症状以外は、正直に答えます。
ちなみに、この「幻聴」の症状は過去の文献には載っていないものでした。そのため、精神科医はシンプルに自身の経験や技量だけで判断するしかなく、実験に最適な「嘘の症状」であるとローゼンハンは判断したのです。
偽の精神障害者たちは、当初「自分たちの演技はすぐにバレて、怒られてしまうのではないか」と心配していました。なぜなら、偽の幻聴を伝える以外は、ごく普通に行動し、精神科医に対しても素直に話をしていたからです。
しかし、結果は驚くべきものでした。なんと、全員が入院することになったのです。1名が躁鬱病、残り7名は統合失調症と診断されました。いとも簡単に、入院が決まってしまったのです。
実験はさらに続きます。見事に入院を果たした偽の患者たちは、入院後すぐに「幻聴がなくなった。爽快で調子が良くなった」と看護師や医師に伝え、退院を申し出るようローゼンハンから指示されていました。つまり、なりすますことを辞めたのです。彼らは病院関係者に対して協力的に振る舞い、自分が健全であることを十分にアピールしました。







