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北陸新幹線の敦賀―新大阪間で、「小浜・京都ルート桂川案」の決定を受け、2027年度の着工に向けた動きが始まった。しかし、最大5兆円超と見込まれる建設費を誰が負担するのかという根本問題は、いまだ解決していない。JR西日本に巨額の負担を求めれば、「第2の国鉄」を生まないという整備新幹線の大前提そのものが崩れかねない。今回、その歴史的経緯から財源問題の本質を読み解く。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
JR西日本は「桂川案」を
無条件で受け入れたわけではない
与党整備委員会が7月15日に北陸新幹線「小浜・京都ルート桂川案」を決定してから1カ月半、着工に向けた動きがようやく始まった。営業主体となるJR西日本は8月24日、国土交通大臣との面談で速やかな着工を要望するとともに、地元への説明について「私たちの立場としてもできるようなことは一緒にやりたい」と述べた。
同社の倉坂昇治社長はルート決定同日の産経新聞のインタビューでも既に、桂川案を受け入れる旨を表明しており、同22日の定例記者会見でも「交通の結節機能として、駅に直接関わる部分を中心に積極的に取り組んでいく」と協力意向を示している。しかし、上記の見解はJR西日本が「小浜・京都ルート桂川案」を無条件に承認したことを意味するわけではない。
整備新幹線着工の根本かつ最大の問題が財源である。実際、1987年に始まった整備新幹線建設の歴史は財源をめぐる駆け引きであったといっても過言ではない。そうした中、北陸新幹線敦賀―新大阪間の最大5兆円以上と見込まれる事業費の大部分をJRに負担させようと着々と動き出している。
本連載では8月前半、着工に向けたハードルを「着工5条件」を中心に、第1回、第2回、第3回と、計3回にわたり解説したが、今回は改めて財源問題について、整備新幹線における国と営業主体(JR)の関係を中心に述べたい。
整備新幹線は1987年の「凍結解除」以降、1989年、1998年、2001年、2005年、2012年の大きく6つの段階に分けて新規着工を行った。論点は基本的に2つ、「財源の確保」と「着工優先順位」である。ただし、予算が無尽蔵であれば(施工能力を度外視すれば)全路線を同時に着工できるので、優先順位とは予算の制約と等しい。
ここで整備新幹線の歴史をさかのぼりたい。東北(盛岡~青森)、上越、九州、西九州、北海道新幹線の5路線は1973年11月13日に「整備計画」を決定し、着工を待つ身となった。
ところが整備計画決定の3日後、オイルショックに端を発するインフレ抑制のため政府は「総需要抑制策」を発表し、大型公共事業は凍結・縮小されることになり、整備新幹線もストップした。その後も推進役だった田中角栄内閣の総辞職、第2次オイルショック、国鉄の経営破綻が続き、ついに1982年、政府は「整備新幹線計画は当面見合わせる」と閣議決定した。
しかし、政治は整備新幹線を諦めなかった。むしろ「国鉄改革」の議論が決着に向けて進む中で、着工を求める声は一段と増していった。自民党は1984年12月に「東北新幹線盛岡以北と北陸新幹線の一部を1985年に着工する方針」を固めたが、国鉄改革で14兆円の国民負担(当時の想定)を求める中、新幹線建設に10兆円以上を投じる計画が理解を得られるはずもなかった。







