歴史漫画『センゴク』の主人公として知られる戦国武将・仙石秀久。豊臣秀吉の下で異例の出世を遂げた一方、大敗と失脚も経験した。その秀久と、長宗我部元親に抗戦した讃岐の武将・十河存保は、1585年の四国征伐後、対照的な処遇を受ける。なぜ戦場での働きだけでは説明できない「明暗」が生まれたのか。2人の軌跡から読み解く。(古城探訪家 今泉慎一、執筆協力/青栁智規)

歴史漫画の
豪快で型破りな主人公

 宮下秀樹の歴史漫画『センゴク』シリーズの主人公として、一躍その知名度を上げたのが仙石“権兵衛”秀久。豪快で型破りな人物像で、織田信長や豊臣秀吉の下で成功と失敗を繰り返しながら戦国の世を生き抜いていくストーリーが人気を博しました。

 そんな仙石秀久は、史実もドラマチック。1564(永禄7)年、少年期に織田信⻑に謁見(えっけん)し、木下藤吉郎(のちの羽柴秀吉)の家臣となったと伝わります。浅井・朝倉軍を相手にした「姉川の戦い」では、浅井氏の家臣・山崎新兵を討ち取ったと『改撰仙石家譜』に記されるなど、若い頃から武勇を示したといわれています。

仙石秀久像(江戸時代、作者不明・個人蔵) Photo:Wikimedia Commons/Public Domain仙石秀久像(江戸時代、作者不明・個人蔵) Photo:Wikimedia Commons/Public Domain

 その後、秀吉のもとで着々と出世を遂げた秀久。ついに大軍を指揮する立場まで任されるのですが……。その後半生は、実に波乱万丈でした。

秀吉の命で軍を率いて四国へ
そこで起こした第一の“やらかし”

 1583(天正11)年、秀久は秀吉の命を受け四国へ。讃岐国(現・香川県)に派遣されます。天下統一に向けて邁進(まいしん)する秀吉と対立していた長宗我部元親と戦うためです。

居城・岡豊城に立つ長宗我部元親像居城・岡豊城に立つ長宗我部元親像