史実はもっと過酷だった…明治に浮上した「看護婦」の問題、その後に起きたこと〈風、薫る第114回〉

看護婦に不道徳な行為を強要する事例も

 りんと直美の脳裏には、セツだけでも恵風看護婦会で働いてもらおうかという案もよぎるが、それでは社会全体は変わらない。あの頃(第10、11週)の遊郭の問題と同じだ。

 りんと直美は看護婦の必要性を世間に認知させることに成功したものの、社会全体の困っている女性の地位の向上にまでは力が及んでいない。

 看護婦をめぐる問題は、明治のうちから指摘されていた。りんのモチーフとなっているとされる大関和も明治29年(1896年)ごろ、看護師の質の低下を憂えて内務省衛生局に直訴している。

『「看護婦」の近代社会史 誇りが拓いた自立への道』( 朝日選書 山下麻衣著)には当時、「驚くべきことに、会員(派出看護の会の)に対して不道徳な行為を強要するような事例もあったという」とある。

 ドラマではそんなところはさすがに匂わせもしていないが、日清戦争のとき、軍人が看護婦を偏見の目で見るくらいだから、やはりそういうことがあるのだろう。質の低い看護婦会での労働環境も決していいものではなかった。

 その後も、派出看護婦をめぐる問題はなくならなかった。

 前述の『「看護婦」の近代社会史 誇りが拓いた自立への道』にはこうある。

「新聞記事を見てみると、派出看護婦会が経営に問題を抱えていたことは確かだ。たとえば、 1921年と1923年には、無資格の見習看護婦を1等および2等として派出した会長を取り締まったとある」

「1927年には、鎌倉で営業していた43歳の派出看護婦会会長の取り調べに関する記事が掲載されている。これによると、秋田県出身の16歳の見習看護婦は、郷里の巡査の紹介で、学校に通わせてもらえるという約束で会に入り、9カ月が経過しているにもかかわらず、看護婦養成所に通えていなかった」

「小遣いは3円、日給1円80銭で、派出されていた。この状況に困った見習看護婦が故郷に帰ろうとすると、会長から『食料代を210円払わなければ帰さない』と言われたという」

 いつでもどこでも弱者を食い物にする人たちがいる。貧しく、学がなく、立場の弱い人はちっとも人生が上向かない。

 そんな実情を知ったりんと直美はどうするだろうか。

史実はもっと過酷だった…明治に浮上した「看護婦」の問題、その後に起きたこと〈風、薫る第114回〉