日本人の平均寿命は長期的に延びており、日常生活に制限のある「不健康な期間」はむしろ縮んでいる。それでも自分の病気への不安が消えないのはなぜか。ピーター・F・ドラッカーは41年前、同じねじれをアメリカに見つけ、ドラッカー名著集5『イノベーションと企業家精神』の中で、これをイノベーションの機会として書き残していた。数字と実感がずれる構造を、ここで問い直してみよう。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

不健康な期間は縮んでいる
厚生労働省の簡易生命表によれば、2025年の平均寿命は男性81.35年、女性87.33年。前年をどちらも上回った。一方、健康上の問題で日常生活が制限されない「健康寿命」は、大規模な全国調査に基づき3年おきに算出されており、最新の公表値は2022年で男性72.57年、女性75.45年。同じ2022年の平均寿命(男性81.05年、女性87.09年)との差、つまり日常生活に制限のある期間は男性8.49年、女性11.63年で、これは公表されている中で最も短い。
ところが、2022年の国民生活基礎調査で悩みやストレスの原因を尋ねると、「自分の仕事」「収入・家計・借金等」と並んで「自分の病気や介護」が男女とも上位を占める。実体は良くなっても、不安は減らない。
この同じねじれを41年前に書き留めた本がある。ドラッカー名著集5『イノベーションと企業家精神』だ。ただしこれは健康の本ではない。
イノベーションの機会を7つに分けた本で、その第6が「認識の変化」、つまり人々のものの見方が変わることである。ドラッカーはその実例として、アメリカ人の健康観を取り上げた。
健康ノイローゼという観察
本書によれば、1960年代の初めからの20年間で、新生児の生存率や高齢者の平均余命、がん(肺がんを除く)の発生率や治癒率など、肉体の健康と機能に関わる指標は大きく改善されていた。そのうえで彼はこう続ける。
ところが今日、アメリカ人は健康ノイローゼにかかっている。
――『イノベーションと企業家精神』より
大事なのは、ドラッカーが人々の不安を不合理と切り捨てていない点だ。彼はそれを事実として観察し、イノベーションの機会として数えている。
そのうえで彼はさらに踏み込む。この20年間でアメリカ人の健康に関して悪化したものがあるとすれば、それは健康と体形に対する関心の異常な増大であり、加齢、肥満、慢性病、老化への恐怖のほうだ、と述べるのである。執筆当時から見て25年前なら、ごく小さな医療の進歩が大いなる前進とされた。ところが当時すでに、大きな進歩でさえさして驚かれなくなっていた、とも書く。
半分入っているか、半分空か
本書の第6の機会は、コップの比喩から始まる。コップに「半分入っている」と「半分空である」とは量的には同じである。だが意味はまったく違い、とるべき行動も違う。
認識の変化が起こっても実体は変化しない。意味が変化する。
――『イノベーションと企業家精神』より
彼はこの命題を、もう一つの例で補強する。本書によれば、当時のイギリスでは所得の配分はアメリカよりも平等で、3分の2がいわゆる労働者階級を上回る所得を得ていた。それにもかかわらず、イギリス人の70%は依然として自らを労働者階級と見ている、とドラッカーは書いている。
所得という実体が動いても、自分は何者かという認識は動かない。彼は別の場所でこう書く。経済が変化をもたらすのではない、経済は関係さえしないかもしれない、と。変わるのは実体ではなく意味である。
そして意味が変わった瞬間に、機会が生まれる。
農家は貧しいと思っていなかった
本書には日本の一場面も記録されている。1954年か55年、日本のある家電メーカーの会長がニューヨークの会合で、日本は貧しくてテレビのような高いものは買えないと講演していたという。
ところが松下電器産業(当時。現パナソニック)は、農家はテレビを買えないほど自分たちが貧しいとは思っていないという事実を受け入れた、とドラッカーは書いている。本書によれば、当時松下より優れたテレビを開発していた東芝や日立は東京の銀座や大都市の百貨店で売っており、地方の農民にとってそこはお呼びでない場所だった。松下は農家を一軒一軒訪ねて売った。
これは1955年前後の一場面についての記述であり、その後の各社の歩みとは切り離して読む必要がある。農家の所得という実体は、どの会社にとっても同じ数字だった。違ったのは意味の読み方だけだった。
ドラッカーが記録しているのは、その認識の違いが売り方の違いを生んだということだろう。
定量化できないものを確かめる
この連載では以前、予期せぬ成功をどう扱うかという話をした。ドラッカーの体系では、予期せぬ成功や失敗はしばしば認識の変化を示す兆候と位置づけられている。売れるはずのないものが売れたとき、動いたのは実体ではなく人々の見方のほうだった、というわけである。
本書は、認識の変化は多くの場合定量化できず、できたとしてもその頃には機会とするには間に合わない、と述べる。だがそれは知覚できないものではなく、きわめて具体的で、明らかにし確かめることができる、と続く。数えられないことと、確かめられないことは違う。
健康指標は、実際に何が起きているかを教えてくれる。だが、それをどう受け止めるべきかまでは教えてくれない。指標が良くなっても不安が消えないのは、この2つが別のものだからだ。いま自分の職場にも、指標は動いていないのに、受け止め方だけが動きつつあるものがあるかもしれない。





