世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”出口治明元APU学長。宮部みゆき氏などから絶賛されている出口氏の『哲学と宗教全史』をもとに、哲学と宗教の視点から探る「フッサールの思い込みの外し方」とは? ライターの照宮遼子氏がレポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)
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料理が苦手だと思っていた
以前の家では、キッチンがとにかく狭く、自炊はなかなか続かなかった。
食材を出すだけで作業台はすぐいっぱいになり、切ったものや洗った鍋を置く場所を探しながら料理をする。簡単なものをつくるだけでも台所がいっぱいになり、それだけでやる気が失せた。
ところが、広い家に引っ越してからは、夕方になると台所に立つ日が増えた。
大したものをつくっているわけではない。それでも気づけば、お惣菜を買う頻度が減り、毎日自炊するようになった。
フッサールはなぜ「よく見る」ことを重視したのか?
ふだん私たちは、目の前のことを「そういうものだ」と思ったまま過ごしている。
その思い込みをいったん脇に置くことを、フッサールは「エポケー」と呼んだ。
『哲学と宗教全史』(出口治明著)では、ドイツの哲学者エトムント・フッサール(1859~1938)の考えをこう紹介している。
わかりやすく述べれば、何も考えずによく見てみようと主張したのです。
――『哲学と宗教全史』より
ここでいう「何も考えず」とは、すでに持っている答えを当てはめずに見るということだ。
できる、できない。向いている、向いていない。そう決めてしまうと、物事はその言葉に引っ張られて見えてしまう。
フッサールの「エポケー」は、世界を疑って否定するためのものではない。
答えを急ぐ前に、目の前のものをもう一度よく見るための方法だった。
「向いていない」と決めつける前に
何かが続かなかったとき、私たちはすぐに理由をつけたくなる。
もちろん、合わないことを無理に続ける必要はないが、そこで「向いていない」と決めてしまうと、少しやり方を変える機会まで失ってしまう。
フッサールの思想を知ると、「向いていない」と決める前に、見落としていた条件があったのかもしれないと思えてくる。
何かをあきらめる前に、もう一度だけよく見てみる。
そこに、自分では気づいていなかった事情が見えてくるかもしれない。





