
当時は日本経済の転換点に当たる。85年9月のプラザ合意によって、1年で1ドル=240円台から150円台と円高が急進し、輸出産業を直撃。政府は前川レポートに基づく内需拡大策(公共投資・減税・金融緩和)を進めていた。この金融緩和がバブル経済につながっていくのだが、まさにその入り口の時期である。
塚本は、日本人が海外で「エコノミックアニマル」とみられることへの反発から、伝統文化の海外紹介を思い立ったと語り、「経済人が文化にもっと金を使わなければ、日本にバランスの取れた発展はない」と訴える。
稲盛は、戦後40年余り生活のために必死に働いてきた価値観が終わりを迎え、経済一辺倒で強くなった日本そのものが世界から嫌われることを危惧し、文化を通じて日本人の精神風土を知ってもらう必要を説く。効率化一辺倒のムードの中で「文化性のない企業は21世紀に生き残れない」という点で、2人の意見は一致している。
稲盛はさらに、企業風土における「冒険心」の大切さに触れ、長老支配の村社会的な企業の中で、蛮勇をもって挑戦する若い世代を許容できるかどうかを問うている。
こうした発言は、バブル経済前夜の浮かれた余裕から出たものとも見えるが、必ずしもそうとは言い切れない。稲盛自身、86年に京セラ会長へ就任し、通信自由化を受けて84年に設立した第二電電(DDI、現在のKDDIの源流)の電話サービス開始(87年9月)を目前に控え、まさにNTTの独占に挑む蛮勇を自ら実践している最中だった。同時に京都賞創設(85年)という文化貢献にも着手しており、対談の発言は理念先行の建前ではなく、行動を伴ったものだったといえる。
対談終盤で語られる平安建都1200年記念事業については、京都商工会議所会頭でもあった塚本が、その実現に力を注いだ。バブル崩壊後の景気後退で資金繰りにも逆風が吹く中での94年の開催だったが、事業は中長期的に見れば成功を収めた。同年には「古都京都の文化財」がユネスコの世界文化遺産に登録されている。効率と文化を対立させず両立させようとしたこの対談の主張は、その後の京都の姿にも確かな成果を残したといえるだろう。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
パリ、ストックホルム、バルセロナ、ロンドン、アメリカに渡ってケンブリッジ、ワシントン州バンクーバー、ロサンゼルスと七つの都市を巡回した「現代日本画展」の帰国記念展が1月に青山の「スパイラル」で開催された。「現代日本画展」は1985年11月のロンドンのオープニング・セレモニーにチャールズ皇太子、ダイアナ妃ご夫妻がご臨席されて86年5月の訪日をメッセージされたことで国内でも一躍注目された。この日本画展を協賛し実現に尽力した2人の事業家に日本画展の海外巡回の意義や経営ビジョンを語っていただいた。
この企画は塚本さんが83年に提唱して始まったもので、85年4月のパリ開催、今年1月の帰国記念展と足かけ5年の仕事だった。現代日本画を海外に紹介したのが1200年の古都・京都に籍を置く戦後創業の二つの企業というのは印象的だが、これは偶然とも思えず、なにかしら筋の通った現象に違いない。
純粋の京都人は
こんなあほなことは考えない
「週刊ダイヤモンド」1987年2月7日号
塚本 最初はもうほんとにちょっとした軽い思い付きが、最後はえらいことになってしまいまして、だから途中から稲盛君を引っ張り込んだわけですよ。やっぱり、こういう文化事業は1社でやるよりも京都の企業が一緒にやった方がもっと意義があるんじゃないですか。
稲盛 それは京都の会社というのではなくて、塚本さんですよ。これは塚本さんのアイデアで企画されて、私はお尻から乗っかっただけでございます。
塚本 まあまあ、出会いというのは……人生、不思議なものでしてね。稲盛君は鹿児島ですし、私も滋賀県生まれで、河内育ちですからね。
たまたま同じ時代によそ者同士が集まってお互い徒手空拳で仕事をしてきて、ひと回り違うけど同じサル年で気心が合うものですから、ついつい……。
京都というところは面白いところで、古く住み着いて京都でずっとやっている純粋の京都人は、こんなあほなことは考えないですよ。まあ、ばかに見えますよ。ずいぶん金を使って、それが仕事に結び付くわけじゃないしね。ただ純粋に日本という国を考えるということからしか発想がないもんですから。
貿易摩擦とかなんかで、日本人が海外でエコノミックアニマルとみられている。そうじゃないんだ、といくら口で言ったって駄目なんで、それよりも何か古い伝統文化を世界に紹介することによって、初めて徐々に理解が深まるんで、そういうことをやりたいなと思い付いたのが5年前です。
そんなわけで、今度の日本画展の実行委員長の河北倫明先生、当時の京都国立近代美術館の館長ですけどね。それまで親しくさせていただいておったものですから、そんな話をポカッとしましたら、出会いというものは面白いもので、それまでマージャン仲間でそんな話を一度もしたことのない松井昌さんという歯医者さん、小林古径保存協会の会長をしておられる方ですが、ちょうどその場におりまして、そりゃ日本画展をやるべきだ、日本画展ならお手伝いするよという話になって、そして平山郁夫先生(日本美術院理事)に相談を持ちかけたり、銀座の村越画廊にも話をして、みんながやろう、やろう、素晴らしいな、というようなわけでね。全部日本画でやる、しかも"現代の大和画から出発した日本画"ということで全部新作でいこうということになり、1年間でみんな描いていただきました。







