Photo:Chemical Heritage Foundation/AI Generated/ChatGPT
いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。『日本を創った57人の経営者』の本稿では、今回は、松下幸之助と同様「経営の神様」と呼ばれた京セラの創業者、稲盛和夫を取り上げる。「経営を宗教にした神様」である松下や、資本主義を「モノを神にする宗教」と暴いたマルクスとは異なり、稲盛は多くの経営者が「この人の言うことなら正しい」と慕う個人的な信仰対象としての神様だった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
経営を宗教に構造化した松下幸之助
個人が信仰対象となった稲盛和夫
前回、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助を取り上げました。日本は一神教でなく自然や万物にやおよろずの神が宿る多神教の国といわれます。当然ながら、経営の分野にも複数の神様がいます。
その一人が、京セラの創業者、稲盛和夫さんです。2022年に稲盛氏が亡くなったときも、多くのメディアがそう表現していました。
ただし、この二人に向けられた「神様」という言葉は、意味するところがかなり違うように思います。
松下氏については「経営という行為」を宗教の構造に組み替えた人物、つまり「経営を宗教にした神様」だったと結論付けました。一方、稲盛氏の場合は、制度や仕組みというよりも、人格への信仰です。「この人の言うことなら正しい」「この人の生き方そのものが答えだ」という、人そのものへの信頼から生まれた宗教性であり、極めて個人的な信仰対象としての神様でした。
稲盛氏には、生前、インタビューしたことがあります。13年、JAL再建が一段落した頃でした。
彼の経営者としての力量は認めつつも、宗教くさい「稲盛哲学」にはどうもなじめない、というビジネスマンが少なくないことには、かねがね興味を覚えていました。
実は私自身、プロテスタントのクリスチャンでして、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をはじめ、宗教的なエートス(生き方)が経済行動に与える影響には、もともと関心があります。そういう意味で、「稲盛和夫と宗教」というテーマは、ぜひ一度、本人に聞いてみたいと思っていた問いでもありました。
JALの再建に際して、稲盛氏は自身の人生哲学と経営哲学に基づく行動指針をまとめた冊子「フィロソフィ」を全社員に配布し、常に携行させました。いわば経典のようなものです。その狙いについて、稲盛氏はこう説明してくれました。
「私と同じように経営について全身全霊で心配する“分身”のような人が何人かおってくれればいいのになと思った。孫悟空の話の中に、鼻毛を抜いてフッと吹いたら分身が出てくる。あんなふうに、私と同じ考え方、判断基準、価値観を持った分身が欲しい。だから、私の人間としての考え方をまとめて、みんなに話をしていった」
私が「同一の価値観を持った集団が強みを発揮するのは分かりますが、多様な価値観のぶつかり合いが創造性を生むということもいえませんか?」と聞くと、稲盛氏は「そういうことを言う方は多いですね、特にインテリに」と少し笑いながら、
「発想や戦略は多様でいい。しかし、そのベースになる心の土壌までバラバラでは組織は成り立たない」
と前置きした上で、
「利己的な人間と利他的な人間が同じチームでうまくいくわけがないでしょう」
と諭すように返されてしまいました。
「そこには宗教心のようなものが必要ですか?」と振ると、「宗教的なものは、人間の真理、核心を突いている。民族や宗教が違っても、人間として正しいこと、美しい思いやりのある慈悲の心は全て共通だ」と、まさに宗教家のように語っていたのを思い出します。
“稲盛哲学”の源流には、明らかに宗教性があります。そして稲盛氏自身、それを隠そうとしません。この哲学はどのように育まれ、企業経営に組み込まれていったのか。また、稲盛氏を慕う経営者はどこに引かれているのか。そして、“稲盛教”が「危険なカルト」ではなく、日本の企業社会に受け入れられる「人格信仰」として根付いた理由はどこにあるのか――次ページではそんな謎に迫ります。







