1920年代、空前の好景気に沸いたアメリカでは、「株は上がり続ける」と信じ、借金をしてまで株を買う人が相次いだ。だが、その熱狂は1929年10月29日の「暗黒の火曜日」に一変する。株価は大暴落し、多くの人が財産を失い、銀行の倒産や大量失業へと連鎖していった。なぜ繁栄を謳歌していたアメリカは、世界恐慌という未曽有の危機に転落したのか。『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』からその始まりをたどる。(ダイヤモンド社書籍編集局)

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株式市場暴落

 1920年代の好景気のあいだ、多くの人々は株式市場に投資して財産を増やそうとした。株式市場というのは企業の株を売買する市場のことだ。企業の業績がよければ株の価値が上がり、そうすれば保有者は株を売って利益を得られる。

 1920年代の強気市場では、企業そのものの価値以上に株価が上がっていたのに、人々は株価が上昇していたため、さかんに株を買った。なかには、株価が上がったら売って、その利益で借りたお金を返せばいいと思って、お金を借りてまで株を買う人々もいた。また、最初に株価の10パーセントだけを支払う「信用買い」をする人々もいた。彼らは株価が短期間で上がり、それを売って利益を得ることを期待していた。

 1929年なかば、株価は最高値を記録し、一部の人々は株を売ることにした。売られる株が増えれば増えるほど買い手は減り、株価は下落した。1929年10月29日、暗黒の火曜日と呼ばれるこの日、株式市場は大暴落。株価は1日で大きく下がり、借金をして株を買っていた多くの人々が、大きな損失をこうむった。

世界恐慌

 暗黒の火曜日は世界恐慌の始まりであり、アメリカ史上最悪の経済危機だった。多くの人々は、金融緩和によってお金を借りやすかった1920年代に株式を買っていた。ところが、借金を返せず、債務不履行に陥る人が増えると、銀行や証券会社もお金を失った。ただし、世界恐慌の原因は株式市場の暴落だけではなかった。ほかにも次のような原因があった。

 過去10年間にアメリカに広がっていた豊かさの幻想は、工場や農場での過剰生産をまねいた。実際には、生産された商品を購入できる人はほんの少ししかいなかった。余剰(あまり)は価格を下落させ、それが利益の減少を招き、企業は従業員を解雇することになった。高い失業率は商品を購入できる人をさらに減らし、この悪循環が雪だるま式に拡大した。

 銀行が倒産すれば、口座にお金を預けていた人はそれを失うことになる。銀行に預金がある人々は、融資の回収ができなくなっている事態を見るとパニックに陥り、できるだけ預金を引き出そうとして、これが「取り付け騒ぎ」を引き起こした。その結果、さらに多くの銀行が倒産に追い込まれ、ほかの企業は出資を受けることができなくなった。それがこんどは解雇へとつながり、このプロセスも雪だるま式に拡大していった。

 他国も厳しい経済状況にあるため(第一次世界大戦の結果)、輸出市場も縮小した。

フーヴァーの経済学

 世界恐慌が始まったときの大統領は、ハーバート=フーヴァーだった。1928年の選挙のあいだ、共和党は1920年代の見かけ上の繁栄の功績を認められていたので、共和党がフーヴァーを大統領候補に指名した時点で、彼の勝利は決まっていたようなものだった。

 フーヴァーは自由放任主義経済と小さな政府を強く支持していた。大恐慌に対するフーヴァーの姿勢は、国民の世話をするのは連邦政府の仕事ではないというものだった。むしろ、この危機は多くの人が経済の正常なサイクルだと思っているものの一部で、自然と収まると考えていた。

 高い失業率(アメリカ人の25パーセント、1300万人が失業していた)、飢餓、ホームレスが、アメリカ全土で増加していった。子どもたちは学校をやめて働き始めたり、家出をしたりした。自分が親の負担になっていると感じたからだ。家庭はばらばらになった。国民が政府になんとかするように訴えても、フーヴァーは動かなかった。家を追われた人々を収容するためにバラック街が生まれ、フーヴァー村と呼ばれるようになった。

 最終的に、フーヴァーは譲歩した。1931年には、雇用をつくり出すために公共事業(いまはフーヴァーダムと改称されているボールダーダムなど)への支出を認めた。そして1932年には、銀行や企業に融資をおこなうための復興金融公社の設立に同意した。

ボーナスアーミー

 フーヴァーの評判はさらに傷ついた。1932年夏のことだった。1945年にボーナスを受け取る予定になっていた第一次世界大戦の退役軍人たちが、早期支給を求めてワシントンDCに集まった。フーヴァーと議会がこれをこばんだため、参加者の一部は周辺のフーヴァー村にとどまった。フーヴァーの指示を受け、ダグラス=マッカーサー将軍は軍を率い、戦車と催涙ガスを使って「ボーナスアーミー」を退去させた。第一次世界大戦の退役軍人の何人かが命を落とし、国民はショックを受けた。

フランクリン=デラノ=ローズヴェルト

 1932年、フーヴァーは勝てる可能性が低いと自覚していたけれど、再び大統領選挙に出馬した。民主党のライバルのフランクリン=デラノ=ローズヴェルト(FDR)は、テディ=ローズヴェルトの遠縁で、ポリオにかかったせいで下半身がまひしていた。ローズヴェルトは知事をしていたニューヨーク州において、住民支援について素晴らしい実績を残していた。また政策については、ブレーン=トラストと呼ばれる強力な顧問団から支援を受けた。彼は選挙戦でアメリカ国民のための「ニューディール」を約束し、快勝した。