1950年代のアメリカは、車やテレビ、マイホームが急速に普及し、「豊かさ」の象徴として世界の憧れを集めた時代だった。だが、その繁栄を誰もが同じように享受できたわけではない。退役軍人を支えたGI法、郊外化を進めた住宅政策、そして若者文化の台頭――。当時のアメリカ人は、何を「夢」として追いかけ、誰がその夢から取り残されたのか。『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から当時の社会を読み解く。
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豊かなアメリカ
アイゼンハワー政権下でアメリカは繁栄した。アイゼンハワーは小さな政府を理想としたけれど、トルーマンが推進してきた社会政策を逆転させることはせず、社会保障を拡充し、最低賃金を引き上げ、保健教育福祉省を創設した。でも、戦争で国のために尽くした人々でさえ、この豊かさを同じように手にできたわけではなかった。
経済は好調だった。アメリカ人は家電製品、車、服、テレビを購入した。『アイ・ラブ・ルーシー』や『ローンレンジャー』などの番組を見て、購買意欲をかき立てるコマーシャルを目にした。
「アメリカン=ドリーム」とは、テレビに登場する家庭と同じものを所有することでもあった。これらの番組は、「リアルな」アメリカ人の姿をステレオタイプ化したけれど、実際にはアメリカ人は全員が同じではなかった。
GI法とベビーブーム
人々が多くのものを買うことができた理由のひとつには、1944年にローズヴェルト大統領の署名により成立したGI法(兵隊権章、または復員兵援護法)があった。GI法は、退役軍人が教育を受け、住宅を購入するための融資を提供した。住宅への需要は高まり、景気は押し上げられた。また、多くの退役軍人が家族をもつ時期にあり、国全体の出生率が急上昇した。ベビーブームは繁栄の時代をもたらした。
けれども、GI法の運営はニューディール政策と同じく、全米各地の役人に委ねられていた。その結果、日系、アフリカ系あるいは先住民族のアメリカ人が差別され、権利を制限されたり、拒否されたりすることがあった。
差別は融資、補助金、失業手当におよび、そのほかのかたちでもこうした人々は周辺的な扱いを受けた。技術専門学校や大学のための教育ローンは、人種が理由で進学できない人には恩恵がない。住宅ローンも、郊外の住宅地に住みたくても住宅購入で差別される有色人種の人々にとっては何の助けにもならない。
ホワイトフライト
連邦補助高速道路法によって高速道路の整備が進み、より多くの人々が移動や通勤をできるようになった。
不動産業界は高まる住宅需要に安価な価格で応えるため、規格化された住宅地を供給した。1947年、ニューヨーク州ロングアイランドにレヴィットタウンが建設された。これは郊外につくられた最初の大規模な新興住宅地となった。多くの家族が都市部から郊外に移り住んだ。引っ越しする余裕のない人々は、都市に留まるしかなかった。裕福な層の大部分を占める白人家族が都市部から出て行く「ホワイトフライト(白人の脱出)」現象により、インナーシティ(都市内集落)に貧困層が集中する状態が生まれた。
税金は郊外のインフラ開発に使われ、都市部の公共サービスの質は低下した。状況は悪化し、連邦政府は都市再生の対策をおこなう必要に迫られた。繁栄から取り残されたのは都市の人々だけではなかった。小規模農家は成長するアグリビジネスの影響に苦しめられた。
ポップカルチャーと世代間ギャップ
1950年代、アメリカではロックンロールが登場した。それはリズム&ブルース、ゴスペル、ジャズ、カントリーといったアフリカ系アメリカ人の音楽にルーツを持つ新しいジャンルだった。ロックンロールの人気は絶大だった。アフリカ系アメリカ人の音楽が白人の聴衆にも届くようになり、白人のミュージシャンもロックンロールを演奏するようになった。
1956年にはティーンエイジャーたちがエルヴィス=プレスリーと彼の音楽に夢中になった。ロックは文化やファッションに影響を与え、若いアメリカ人に新たなアイデンティティをもたらした。若者たちは初めて、大人とは別の世代として扱われ、広告や流行も若者を中心に広がるようになった。もちろん、多くの大人にはその魅力が理解できなかった。












