朝鮮戦争で国連軍を指揮したダグラス=マッカーサー将軍は、北朝鮮軍を中国との国境まで押し戻した。しかし中国が参戦すると戦況は一変し、やがて北緯38度線付近で膠着状態に陥る。そこでマッカーサーは、中国に対する核兵器の使用を主張した。これを拒否したトルーマン大統領を公然と批判したことで、マッカーサーはついに解任される。なぜ、戦場を率いた将軍と大統領は決定的に対立したのか。朝鮮戦争の経緯とともに、『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から学ぶ。

アジアの共産主義化
1937年、日本が中国を侵略したとき、中国では指導者をめぐる内戦が続いていた。日本が敗北し、中国から引きあげると、内戦は再び激化した。
1949年、毛沢東は共産党を率いて蒋介石の国民党を政権の座から追いやった。国民党は台湾に逃れ、政府を樹立し、西側諸国はこの政府を中国の正当な統治機関として認めた。
中国本土では1949年10月1日、中華人民共和国が成立した。多くのアメリカ人は、ソ連の同盟国である共産主義国家の誕生を阻止するためにアメリカがもっと行動するべきだったと考えていた。
北緯38度線
1910年から1945年まで、朝鮮半島は日本の植民地だった。第二次世界大戦の終結時に日本が降伏すると、アメリカは朝鮮半島の支配権を分け合うことをソ連に提案し、半島は北緯38度線で分断された。ソ連は北朝鮮の共産主義体制を支援し、アメリカは韓国の民主主義体制を支援した。
1950年6月25日、北朝鮮の軍隊が国境を越え、韓国を制圧して共産主義政府のもとで統一を図ろうとした。これは、戦後に誕生した国家の支配体制をめぐるアジアでのもうひとつの内戦となった。
トルーマンは中国を共産主義に奪われた後、朝鮮半島で立ち向かうことを決意したけれど、この半島は中国と重要な国境を共有していた。トルーマンは韓国を軍事支援し、国連の協力を求めたけれど、正式に戦争を宣言することはなかった。
朝鮮戦争
国連は16カ国の兵士を集めたけれど、その大部分はアメリカ人だった。アメリカのダグラス=マッカーサー将軍の指揮のもと、国連軍は北朝鮮軍を後退させ、ついには中国と北朝鮮の国境まで押し戻した。これは眠れるクマをつつくようなものだった。中国は北朝鮮側について参戦した。1950年10月19日、中国軍は北朝鮮に入り、アメリカ軍は撤退を余儀なくされた。
1951年には両陣営は北緯38度線で膠着状態に達した。マッカーサー将軍は中国に対する核兵器の使用を主張したけれど、トルーマンは拒否した。マッカーサーはトルーマンを公に批判し、トルーマンは彼を解任した。国連と北朝鮮は1951年7月に和平交渉を開始したけれど、大きな進展はなかった。
「アイ・ライク・アイク」
アメリカ人は、朝鮮半島での無意味な戦いに怒りをつのらせていた。共和党の候補者ドワイト=D=アイゼンハワー(「アイク」の愛称で知られる)は、戦争終結を約束し、1952年の大統領選挙で民主党のアドレー=スティーブンソンを大差で破った。1928年以降、大統領選で共和党が民主党を破ったのはこれが初めてだった。
忘れられた戦争
2年以上の停戦交渉の末、1953年7月27日に戦闘は終結した。北緯38度線付近に休戦ラインが設けられ、ほぼだれも居住しない地帯として北朝鮮と韓国の事実上の国境が引かれた。3万7000人のアメリカ軍人が命を落とした。さらには約300万人の北朝鮮、韓国、中国の人々が死亡し、その大部分は一般市民だった。しかし、これは「忘れられた戦争」と呼ばれることが多い(北朝鮮とは、いまだに平和条約を結んでいない)。











