いまや「コンサル」は、高学歴のエリートが高額な報酬で経営を支える職業として定着している。だが、かつて経営助言は銀行や会計会社が無料で提供するサービスだった。では、なぜ人々は助言に高いお金を払うようになったのか。その背景には、マッキンゼーが「会社」ではなく「ファーム」と名乗ったことに象徴される、巧みな職業イメージの設計があった。書籍『概念シフト』から、その仕掛けを紹介する。
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職業概念の創出――コンサルティングファーム
新しい職業概念の創出事例としてのコンサルティングファーム(以下、コンサル)を考えてみたい。この専門サービスの定着によって、経営戦略の構想に関するイメージが「自社で策定するもの」から、「外部の専門家と協働して策定するもの」へと概念がシフトした[※1]。
この職種は高学歴のエリートたちが、大企業の経営陣とともに戦略を考案し、高額なフィー、高水準の給与を受け取るというイメージだろうか。顧客に対する守秘義務や秘密主義の文化から、その実態が広く知られているわけではない。
コンサル業界の世界観は、一般的な事業会社とはかなり異なる。例えば、部長や課長といった職階も、事業会社とは異なり「マネージング・ディレクター」などと称される。企業や会社という言葉は使わず、みずからを「ファーム」と呼んだりする。昇進できなければ退職するという「アップ・オア・アウト」という他業種にはみられない強い成果主義の秩序もある。
今でこそ「コンサル」と略称されるまでに日本でも定着しているが、必ずしも成果が伴うわけではない助言と高額報酬を交換するため、一歩間違えると虚業とみなされる世界線もあっただろう。あるいは、経営戦略を考案することは企業活動の根幹であるため、各社で徹底的に内部化される世界線もあったかもしれない。
一体、このような概念・慣行はどのように形成されていったのだろうか。
エリートによるクライアントファーストの助言
コンサルは、1920年代後半頃に定着した業態である。まず、コンサルが生まれるきっかけとなった歴史的背景について説明したい。そこには大きく3つの要因があると言われている。
1つは、経営の複雑化である。1900年以降、アメリカ企業を中心に大量生産大量消費の経済社会に変貌していった。この変化を受け、ゼネラルモーターズ(GM)やゼネラル・エレクトリック(GE)など、企業活動の大規模化、多角化が進み、企業経営も複雑化した。
この複雑化に応じるべく、第一次世界大戦後に経営助言を行っていたのが、企業の内情をよく知る会計会社や銀行であった。当初、経営者への企業経営助言は、会計会社や銀行の無料付帯サービスだった。
もう1つは、「グラス・スティーガル法」の制定である。これは、大恐慌の一因とみなされた金融機関の過度なリスクテイクを抑制するため1933年に制定された法律だ。この法律により、預金者を保護し、商業銀行が証券業務のリスクに巻き込まれないよう、商業銀行と投資銀行の分離が進められた。その結果、銀行が従来のように企業の経営や財務に深く関与し、経営助言を行うことは難しくなっていった。
そのため、経営は複雑化した一方で、大企業経営者は気軽に経営相談ができる相手がいなくなってしまった。この時点では、経営者から見れば、経営助言は無料サービスであり、助言に対してお金を払うという慣行はなかった。
最後は、ビジネススクールの普及である。1881年のペンシルベニア大学を皮切りに、1898年にシカゴ大学、1908年にはハーバード大学とノースウェスタン大学と、代表的な大学で次々とビジネススクールが設置された。これらの設立により、コンサル業界への人材輩出と、次々と経営コンセプトが提案される土壌が整っていった。
これらの経済社会の変化を背景に、現在に続くコンサルの原型イメージ形成の中心的役割を果たしたのが、マッキンゼー・アンド・カンパニー(以降、マッキンゼー)、アーサー・D・リトル(以降、アーサー)、ブーズ・アレン・ハミルトン(以降、ブーズ)の3社である。
この3社の提供するサービスには共通する2つの特徴があった。
1つ目は、「学術的アプローチ」を助言の売りにした点である。マッキンゼーの創業者、ジェームズ・マッキンゼーは会計士だった。設立当初は、金融業界で銀行が顧客のために債券を引き受ける際にマッキンゼーが必要な調査を行い、投資銀行から手数料をとるビジネスを行っていた。この経験を生かし、マッキンゼーは創業時、「会計学」の原理を応用した「ジェネラル・サーベイ・アウトライン」という経営診断ツールによって問題を特定し、経営者に対して助言を行うことを売りにしていた。
他方、アーサーは、創業者であるリトル自身がMITで化学を学んだ化学者だった。そこで、研究技術の受託研究から事業をスタートさせ、工学の手法を産業に応用することを同社の強みとしていた。また、ブーズは、ノースウェスタン大学で心理学と経済学を修め、心理学の手法を使った組織の状態診断による問題特定を売りとしていた。
2つ目は、クライアントの課題解決に全身全霊を捧げる「クライアントファースト」である。
医者は患者を治すため、患者にとって短期的に不都合であろうと命を救うという倫理意識を教育される。これと同様に、コンサルも顧客企業にとって不都合なこと、あるいはコンサルにとって不都合であっても、根本的な問題解決をもたらす提案を優先するという心構えがある。
マッキンゼーは自社の価値観として「会社の利益よりもクライアントの利益を優先する」ことを掲げている。アーサーは短期的な収益よりも、技術的な問題解決や専門性の追求を重視していた。ブーズは厳格なキリスト教徒のイメージを自身に重ね合わせていたという。実際、クライアント企業の成長や課題解決に寄り添い過ぎたがゆえに、この3社は何度も倒産しそうになっている。
コンサルティングファームと経営コンセプト
この事例における最も重要なものは、「コンサルティングファーム」という記号だろう。
この言葉の成立には、マッキンゼーの成長を軌道にのせた中興の祖であるマービン・バウワーの功績が大きい。彼はかつて在籍していた著名な法律事務所の言葉を自社に持ち込み、厳格な服装規定や独特用語を用いるようになったからだ。彼は自社を「カンパニー」ではなく「ファーム」と名乗りはじめた。これだけでなく、「カスタマー」ではなく「クライアント」、クライアントからの業務は「ジョブ(仕事)」ではなく「エンゲージメント」と呼ぶよう徹底させた。
こうして、マッキンゼーやブーズがみずからを「ファーム」と呼んだことで、「コンサルティングファーム」という言葉は、医師や弁護士のような専門家が知識と助言を提供する専門職業であることを示す記号として機能するようになった。
さらに、コンサルの領域における革新性は、経営戦略のフレームワークをパッケージングして記号化した点だ。その原型は、フレデリック・テイラーによって1900年代前半に提唱された「科学的管理法」だ。工場の生産性、効率性を高めるためのメソッドが標準化され、その手法をさまざまな工場で応用していった。
その後、経営学者やコンサルタントによって、マネジメントの重要コンセプトが提唱され、いくつも社会に定着した。例えば、マッキンゼーは「MECE」や「7Sモデル」を提唱し、モニター・グループを創業した一人であるハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーターは「バリューチェーン」や「ファイブフォース」を提唱した。ボストン コンサルティング グループは「経験曲線」や「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント・マトリクス(通称、BCGマトリクス)」を提唱している。
イシューの提示による危機感の醸成
通常の製品・サービスを潜在顧客にリーチさせるには、その価値をうたい、広告などによって知名度を高める方法が定石だろう。ところが、コンサルは、秘密主義で、広告活動を控えている。ではどのように依頼行動を誘導するのか。
評判やブランドによって惹きつけられることもあるが、そもそも経営者が自社の経営に問題意識を持たない限り、コンサルに依頼する需要は生まれない。病名がなければその病気の治療法は開発されないようなものである。そのため、経営に関する問題を顕在化させることが行動を促す要因になっていたと考えられる。
コンサル業務が軌道に乗りはじめた1930年代は、いかに企業経営が非効率かを指摘していた。現在では、マッキンゼーのウェブサイトで各種レポートが公開されているように、技術変革、職場における女性活躍など、経営において重要そうなイシューをとりあげ、問題の顕在化を図っている。
経営者が日常的に考えているイシューは自社で解決しようとするだろう。しかし、これまでほとんど考えたことがなく、今後きわめて重要になりうるイシューはどうだろうか。自社のみで解決する力がない場合、専門家に依頼するという自然な動線をつくることができる。
依頼を実際に検討する段階では、コンサルの評判やステータスがものをいう。ここで、先述したコンサルの学術的助言、クライアントファースト、エリート集団といった要素が役割を果たす。
さらに、コンサルを巡る成功譚や逸話も、依頼を引きつけるナラティブとして有効に機能した。ハーバード大学出身者など「最高学府の優秀な人材が集まり、最先端の経営手法を駆使する」というエリート集団のナラティブがある。また、IBMの再建やGEの事業ポートフォリオ改革など、著名企業の変革をコンサルが支援したという成功物語も、コンサルの有効性を示す証拠として機能した。
コンサルティングのガイドラインと政策の受注
1930年代頃よりコンサル業態が軌道に乗りはじめても、まだこの業界は玉石混交で、マッキンゼーのようなエリート集団もいれば、大量安価なコンサルもあった。
とりわけ、安価なコンサルの代表的存在であったジョージ・メイは、チラシのばらまき、飛び込み営業による顧客開拓、標準パッケージによる安価な助言を行うコンサルであった。当初は、ジョージ・メイのほうが、マッキンゼーよりも高い収益をあげていた。マッキンゼーは、このような安価なコンサルを恥ずべき存在とみなしていたという。
物質的な実体を持たない経営戦略のプランを高級サービスとして売るためには、社会が認める高い正当性、ステータスが必要だ。各社は、先にも述べた「学術的アプローチ」、「クライアントファースト」に加え、「エリートとのつながり」を重要視した。
マッキンゼーをはじめとする3社の創業者は、各業界のエリートたちとのネットワークを育む活動を行っていた。マッキンゼーは、アメリカ経営協会、赤十字社、YMCAで活動し、マンハッタンのありとあらゆる銀行家と交友関係をつくっていた。ブーズは、学者や政治家などの著名なエリートとのつながりを育んでいた。アーサーは高級クラブのメンバーだった。
さらに、エリート主義という点で、各社が最高学府の成績優秀者のみを高待遇で雇用したことも、ステータスを向上させる要因となった。とりわけ、マービン・バウワー時代のマッキンゼーは、ハーバード・ビジネススクールの成績優秀者のみを雇う超エリート主義を加速させた。
こうしたエリート主義の追求と並行して、戦略コンサル業界全体の規範的思想が形成されていった。その思想とは、マービン・バウワーが著名法律事務所から持ち込んだ、医師や弁護士のような「高いプロ意識を持った問題解決の集団であれ」というものだ。この思想の形成に貢献した要因は2つある。
1つは、数社が集まってコミュニティとなり、「コンサルとは何であって、何でないか」というガイドラインを作成したことだ。1929年、マッキンゼー、アーサー、ブーズを中心に「ACME(経営工学コンサルティング協会[※2])」という協会が設立された。この協会の設立目的の1つは、安価なコンサルとコンサルティングファームとの違いを明確にすることでもあった。この協会が策定したガイドラインによって、コンサルティングファームとは常にプロフェッショナルであれ、という規範が徹底される。
このガイドラインでは、人材に関する規定も重視された。どのような人物を採用し、どのようなトレーニングを行うべきかが定められており、これが人材育成のテンプレートとなった。この時点で職位の階層についても、コンサルティングファーム特有の標準的な慣習がつくられた。
さらに、ビジネススクールでも、基本的な経営理論が学生たちに伝授されることで、コンサルの共通言語となっていった。
これらの一連の業界慣習が持ち込まれることで、コンサルは、ほかとは一線を画す「気高きプロフェッショナル」として自他ともに認識するようになっていった。
もう1つの要因は、政府からの重要政策の受注である。1940年頃、政府が政策立案やホワイトハウス、海軍の再編などの場面でマッキンゼーなどの主要コンサルを登用するようになる。
国の存亡を決める重要な意思決定をコンサルに委託したことを受け、経営コンサルティングが、明確な職業としてアメリカ社会で確立するとともに、重要な意思決定を行う際に頼るべきエリート職種というイメージが世の中に定着していくことになる。
このように「コンサル」という職業概念が形成され、経営助言が無償で行うものからコンサルに依頼するものへとシフトした背景には、これまで銀行や会計事務所が無料で行っていた経営助言が制限されて、空白が生まれたこと。そして、その助言を学術的バックボーンの提示、エリートネットワークとエリート主義で正当化したこと。ビジネスにおける重要問題を顕在化させる行動誘導、ガイドライン策定と重要政策の受注、ビジネススクール教育によって新しくつくられた秩序に支えられていたのである。
注2 ACME:Association of Consulting Management Engineers







