習近平氏が「長老層」に手を出しにくいワケ

 では、習氏は長老層への対応を強めることはできないのか。

 胡錦濤、温家宝、李瑞環のような歴代最高指導者を逮捕・粛清する政治的コストは極めて大きい。前国家主席や前首相を犯罪者として裁けば、みずからの権力の出発点になっている中国共産党の連続性まで傷つけかねない。

 習氏は異例の3期目に入り権力集中を進めてきたが、不動産不況や成長鈍化など経済面では厳しい課題を抱えている。そこで歴代指導者まで粛清すれば、自らの正統性を逆に傷つける可能性がある。

 習氏の「敵」になりうる存在は国内だけではない。米CIAは2026年2月12日、中国軍将校への情報提供を呼び掛ける中国語動画を公開した。張又侠の失脚発表からわずか3週間後のことで、ロイターはCIAが軍粛清によって生じた不和や混乱につけ込もうとしていると報じている。

 つまり、少なくともアメリカ側は、中国軍内部に不満を抱く人間が存在する可能性を情報戦の材料として利用し始めているのである。

張又侠氏の失脚は何を意味するのか

 WSJは、張又侠について「中国の核兵器に関する機密情報をアメリカに漏らした疑いがある」とする軍内部の説明内容を報じた。

 ただ、これを額面通り受け取る必要があるのかは疑問が残る。張氏は父の張宗遜が人民解放軍建軍の功勲者である紅二代の象徴的存在であり、自身も1979年の中越戦争に従軍した数少ない実戦経験者だった。

 スターリンがトハチェフスキー元帥を「ドイツのスパイ」として処刑したように、独裁体制の粛清では政治的に重大な罪状が利用されることがある。実際、CSISも張氏への核機密漏洩容疑について、政治的に便利な罪状である可能性を指摘している。

 ここからは、仮説をさらに重ねていく。

 私は、「張氏がアメリカ側と接触していたとすれば、その背景には習政権後の米中関係を含め、中国の安全保障や将来の対外関係をめぐる問題意識があったのではないか」と考えている。

 習氏について米情報当局が述べてきた「2027年」は、台湾侵攻を2027年に決断したという意味ではなく、人民解放軍に対し「2027年までに台湾有事に対応できる軍事能力を整える」よう求めたという意味である。

 これに対し張氏は、共同作戦能力の完成をより長期的に考えていたとの分析がある。ジェームズタウン基金(Jamestown Foundation)は、張氏の軍建設の時間軸が習氏の2027年目標と食い違っていたことを失脚の背景の一つとして分析している。

 台湾への軍事侵攻を避け、習退場後の秩序を事前に調整することが張氏の対米接触の動機だった――。もしそうだとすれば、2024年に張氏が当時のサリバン米大統領補佐官と直接会談していたことの意味も違って見えてくる。

 もちろん、これは確認された事実ではなく、あくまで一つの仮説にすぎない。張氏が失脚したからといって、軍内部の不満まで消えたとは限らない。何しろ中央軍事委員会は現在、習氏と張昇民氏の2人しか残っておらず、前述の通り、100人を超える上級軍人が粛清されたか、その可能性を指摘されているのである。

 なお、習氏と張氏の台湾侵攻をめぐる対立については、拙著『習近平は何を恐れているのか?』で詳説した。