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「若いうちに失敗したほうがいい」「苦労は人を強くする」。もっともらしく聞こえるが、本当にそうなのだろうか。将来の困難に備えるため、子どものうちから負けや苦痛を経験させることは、果たしてその人を強くするのか。「失敗から学ぶ」という考え方を改めて問い直す。※本稿は、美学者の難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。
スポーツ的な競争は
能力の成長を促すのか
子どもには競争させたほうがいいのではないか、と感じる人々もまだまだいるだろう。あらためて、その理由に迫りたい。例えば、以下のような競争賛成派の主張をみてみよう。
〔……〕傷つかないで成長する人がいったいどれほどいるというのだろう。たくさん傷ついても次へ立ち向かっていける力を養うには、負けることも必要である。負けない嘘だらけの平等のなかを漂う子どもは、ますますひ弱になるのではないかと思う。
(島田哲夫 2018, 17)
(島田哲夫 2018, 17)
「いや、スポーツ的な競争は、良い能力の成長を促すよ」と言いたくなる人もいるかもしれない。スポーツ的な競争によって、失敗や負けによって強い精神が育てられるかもしれない、それは、立派な労働者になるためにもいいことじゃないか、と。
まとめるならば、「これから生きていく社会は大変なのだから、先んじて大変な経験をしたほうがよい」、という考えがあるのだ。これは確かに、一見とても説得的にみえる。







