白熱するサッカースタジアム画像はイメージです illustration:PIXTA

一度も会ったことのないアスリートの勝利を喜び、不調を心配し、復活に胸を熱くする。考えてみれば不思議な行為である。直接言葉を交わしたこともない赤の他人に、私たちはなぜこれほど心を動かされるのだろうか。現代人がアスリートを応援したくなる心理について考える。※本稿は、美学者の難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。

会ったこともない選手を
なぜ応援してしまうのか

 なぜ人はアスリートを応援するのか。単に1回の試合だけではなく、アスリート当人をなぜフォローし、その活躍をみたり不調を嘆いたり、復帰を祝福したりするのか。

 もちろん、アスリートが自分の子どもだったり、親だったり、親戚だったり、友人やパートナーだったりしたら、アスリートを応援することは不思議ではない。けれど、そのアスリートとまったく面識がないときはどうだろうか。そのプライベートをこの目で見たりしたこともないし、全然話をしたこともない人をなぜ私たちは応援したり、追いかけたり、心配したり、祝福したりするのだろうか。よく考えたら不思議ではないだろうか。知りもしない人のことにそんなに心を動かすなんて。

 私たちは、なぜだか、自分が直接見知っていない人に対して心を動かす。私たちが知っていると思っているアスリートとは、テレビやラジオやYouTubeといったメディアを介してアクセスした姿だ。私たちがアクセスしうるのは、メディアを介した(mediated)人の現れであって、人そのものではない。このようなメディアを介した人の現れは、コミュニケーション研究において「メディアペルソナ(media persona)」と呼ばれている。