それは、打楽器というのは、鳴らすためには何かをぶつけなければならないが、何かをぶつけた瞬間に、そのぶつけたものが楽器の響きを殺してしまうということ、それゆえ、ぶつけた瞬間に離すことが大事だ、というとても単純だが重要な事実だった。
もし私が、様々な打楽器の鳴らし方に失敗し続けていたとして、果たして何かに成功するようになるのだろうか。私は、「1つの原則を見つけることで、派生する様々な問題を解決する」という成功体験を得たことで、それからの人生もいろいろな失敗に対処できるようになった。
周囲に支えられながら
小さな成功体験を重ねる
もちろん、その原則に気づくまでには、細かな失敗や戸惑いはいくつもあった。だが重要なのは、失敗それ自体が私を育てたのではないということだ。むしろ、こうすれば響きが生きるのだ、という何らかの原則を、その欠片でも掴めたこと、理解に到達したという小さな成功体験のほうであった。
それゆえ、発達的に考えても「幼いときに故意に不幸な状況に置かれたからといって、不幸により良く対処できるようにはならない」のだ(コーン 2019, 112)。
反対に、現実社会の困難に対処できるよう子どもに備えさせる最善の方法は、子どもが成功や喜びを経験し、支えられ尊重されていると感じ、愛情のこもった指導と無条件の配慮を受け、自らに関わることについて何らかの発言権を持つ機会が与えられることなのである。(コーン 2019, 112)
私は、コーンのこの主張に全面的に賛成する。確かに、子どもたちは、様々な困難に直面する。しかし、困難に対応するために有益なのは、周囲のサポートを借りながら小さな成功体験を得て、その成功体験の学びを糧に、困難に対して創意工夫することである。
確かに、傷つかないで成長する人はいない。たくさん傷ついても次へ立ち向かっていける力を養うには、何よりも小さな成功を楽しむことが必要である。成功を重ねながら、不必要な競争のない世界で生きる子どもは、ますます強くたくましくなるのだ。
『アンチ・スポーツの哲学』(難波優輝、朝日新書)







