なぜなら、今の世の中で実際に使われているのは、Aがとても多く、Bはなかなかお目にかかれないからです。つまり、「いただく」が好まれ、「くださる」は敬遠されているのです。

「いただく」は「くださる」より
敬意が弱い

 なぜ「いただく」が好まれるのでしょうか。「いただく」と「くださる」の違いを考えてみます。

 最も大きな違いは、「いただく」が謙譲語で、「くださる」が尊敬語だということです。謙譲語と尊敬語の使い方には、根本的な違いがあります。

著者の佐竹秀雄氏をフォローすると、次回記事〈「~させていただく」と言う人が加担している「謙譲語の崩壊」〉の公開をメールでお知らせします。

(1)~(3)のいずれでも、Aの「いただく」人物は自分です。(1)で結構な品をいただく人は自分です。(2)でメールを見ていただくという行為(注意:見るという行為ではありません)の主体は自分で、(3)でも、ご連絡いただくのは自分です。

 一方、Bの「くださる」のは、すべて相手です。結構な品をくださるのも、見てくださるのも、連絡をしてくださるのも主体は相手です。

 要するに、「いただく」場合の主体は自分で、「くださる」場合の主体は相手なのです。

 ということは、謙譲語「いただく」を使うときは、自分中心の視点でものを見ていることになり、「くださる」を使うときは、相手の視点でものをとらえていると言えます。

 尊敬語「くださる」は、相手を主体にすることで相手を立てる敬語です。それによって相手に直接的に敬意を示します。それに対して、謙譲語「いただく」は、主体の自分を低めることで間接的に相手を立てます。

 直接、間接の違いは敬意の高さと関連します。尊敬語「くださる」を使うと、相手の動作に直接的な敬意を示すので、強い敬意を示せます。他方、謙譲語「いただく」を使うと、相手の行為を間接的に高めることになるので、敬意がやや弱めになります。

 その違いを利用して、場面に応じた両者を使い分けるのがよいという考え方があります。しかし、現実には「いただく」ばかりが使われているわけで、謙譲語と尊敬語の使い分けの精神がなくなっているとも考えられるのです。

 いえ、それどころか、実はもっと大きな時代の変化が起こっていると考えています。