使い分けの精神がなくなる段階を越えて、「くださる」が消えて「いただく」への一本化が起こり始めていると思われるのです。
例えば、インターネットにおけるビジネス敬語の指南書では、
(4)資料をお送りいただきましてありがとうございます。
(5)お手数ですが、ご来社の前にお電話でご連絡をいただけると幸いです。
(6)お手すきの際に資料に目を通していただけないでしょうか。
(5)お手数ですが、ご来社の前にお電話でご連絡をいただけると幸いです。
(6)お手すきの際に資料に目を通していただけないでしょうか。
のような例文が挙げられています。この例文で学習した人の多くは、これらの文の主語が自分のことだと思わない可能性があります。
「送る」「連絡する」「目を通す」という行為を実際にする人物は相手なので、相手が主語だと誤解して
(4’)「(あなたが)資料をお送りいただきまして」ありがとうございます。
(5’)「(あなたが)ご来社の前にお電話でご連絡をいただける」と幸いです。
(6’)「(あなたが)お手すきの際に資料に目を通していただける」と幸いに存じます。
(5’)「(あなたが)ご来社の前にお電話でご連絡をいただける」と幸いです。
(6’)「(あなたが)お手すきの際に資料に目を通していただける」と幸いに存じます。
だと解釈してしまうのです。
そのときに「あなたが-いただく」の関係が不自然であることに気づかないのです。
そのため、頭の中に「くださる」と「いただく」が等しいものだとの錯覚が生じます。そこで、「くださる・いただく」という授受関係が成立したときは、実際の文の主語がだれであろうと、常に「いただく」が使えるのだと思ってしまうのです。
このような学習が繰り返されれば、
・皆さんが次回の大会に参加していただけたらと思います。
・部長が資料をご確認いただけると幸いに存じます。
・部長が資料をご確認いただけると幸いに存じます。
といった間違った表現をすることに、何の抵抗も感じなくなるのです。
敬意がかかわる、ある一つの行為に関して、相手を主体にするか自分を主体するかによって表現を変えるのは、実際面倒なことです。
「くださる」でも「いただく」でも、実質的な意味は同じで、相手に対する敬意を示せるのですから、常にどちらかに決めておいてすむなら、とても楽です。その際に「いただく」が選ばれたのだと考えられます。







