映画の中の時代は、スマホはおろか携帯電話も普及していない1990年代である。連絡にはポケベルと公衆電話が使われ、ビデオテープで資料を見る。90年代の物語をなぜ今やるのかについて理由が必要だとすれば、当時の問題提起を映像化できるまでにこれだけの時間がかかったからだ。

 スマホすらなかった当時から格段に進化した通信技術と、その後、制度面では前進しながらも、なお多くの課題を抱えている社会福祉や支援、包摂。そのギャップを考えてしまう。

「映像化は無理」だった作品を可能にしたもの

 作品が評価されている理由の一つは、俳優たちの演技が素晴らしいことだろう。俳優たちとは、主役の西島や、その助手役を演じる満島はもちろん、障害児を演じている障害のある子どもたちも含めて、である。

 この映画が優れているのは、映画の中心に、とても自然な形で障害のある児童が存在していることだ。ほとんどの登場人物たちの目線は、障害のある子どもたちに注がれている。

 宮藤官九郎が演じる明野哲夫の息子・新には重い障害がある。ほとんど寝たきりの新を演じているのは、自身も車椅子で学校に通う「しんすけ」というキャストである。笑顔が多く、ときに周囲の人を勇気づける存在だ。また、しんすけ以外にも複数の障害を持つ当事者が出演している。

 撮影にあたっては障害支援に携わる理学療法士が付き添い、医療チームが常駐するかたちで行われたという。

 かつては「映像化は無理」と言われた作品ではあるが、心あるプロのスタッフが揃うことで可能となった。実際に障害のあるキャストも出演できる。映像作品を一緒に作り上げることができる。すでにそのような時代になっていたことに、自分の偏見を突きつけられた気持ちになった。

 タイトルの「懺悔」を、自分への言葉だと感じた観客も多いのではないか。

公開までの異例の経緯

『時には懺悔を』は本来であれば2025年の公開だったところ、1年以上にわたって延期となった。理由は、中島哲也監督の過去作品にまつわるトラブルにある。