小酒井不木という作家に『謎の咬傷』(1925年)という作品がある。ミステリーの短編である。事件は、殺人だが、東京平河町の富豪邸でおこる。家は洋風の平屋と和風の平屋にわかれていた。その両者を廊下がつなぐ形になっている。そして、玄関は和館のほうにもうけられていた。
主役の霧原警部は、おのずとこちらへ急行する。そして、邸内にむかえられた。家にも、和館のほうからだが、あがりこむ。その様子を、作家はこう描写する。「霧原氏は靴を脱いで上り、その場で、死体発見の始末をきいた」、と。この一文は、警部のおだやかな人柄を暗示してもいただろう。
殺人事件発生直後の現場である。警察の担当者なら、たとえ畳の部屋であっても、土足であがりこむものである。ミステリーの読者も、そういう光景にはなじんでいる。だからこそ、作家は書いた。「氏は靴を脱いで……」、と。やはり、それは特筆すべき例外的な振舞だったのである。
もし、霧原警部が慣例どおり靴履きのままであったら、どうなったか。作家はなにも言及しなかった可能性がある。あまりにあたりまえのことであり、わざわざ書くにはあたいしないと判断して。
ミステリー小説は土足での
現場突入を当然と描いた
戦後のミステリーからも、かかわる短編を1本ひいておく。とりあげたいのは天藤真の『多すぎる証人』(1976年)である。この小説は、警部が事件のあった部屋へふみこむところを、つぎのように書いていた。
「警部は、写真班がドアからの状況をカメラに収めるのを待って、緊張してまっさきに室内に足をふみこんだ。もちろんクツのままである。お客に来たのではない。クツを脱いで畳にあがって、ベランダへ出るときはまたスリッパをはいて、などと悠長なことはしていられない」
靴履きのまま突入することを、「もちろん」という副詞もそえて説明する。ミステリーファンには、わざわざのべる必要がない。ねんのため、一般読者の理解も考慮して、記述する。そんな書きぶりになっている。
読者への親切心をおこした執筆に、はずみがついたのだろう。作家は警察側の思惑を深読みもしつつ、こうあらわした。
「今は犯人の状況は不明である(中略)室内に潜伏している可能性もないとはいえない(中略)万が一格闘にでもなって、くつ下ハダシの警官が足をふんづけられて悲鳴をあげてとびあがったりなどは、およそ見られた図ではない」







