ざんねんながら、この点に関する警察の公的な記録を、私は見たことがない。家宅捜索と土足にかかわる関連論文が、警察学の専門誌にあるか否かも、不案内である。今は、天藤真の文章を引用するだけで、ことをすませたい。

 ともあれ、警察は公権力の一翼をになっている。そして、近代日本の公共空間は、靴履きが屋内へ普及することをおしすすめた。場合によっては、私邸への進入さえあとおしをしている。警察のそれも、同じ方向をむいてきたのだと考える。

5・15事件の首相官邸へ
将校たちは土足で踏み込んだ

『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』書影『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』(井上章一、新潮社)

 5・15事件は1932年におこった。5月15日のできごとなので、そうよばれる。海軍の青年将校がこころみた、クーデターをめざす決起である。けっきょく、その目的ははたせない。だが、首相官邸の襲撃にはふみきれた。また、当時の首相・犬養毅の射殺にも成功する。

 銃撃された場所は、官邸の日本間、応接用の和室である。もちろん、畳もしかれていた。そこへ、将校たちは土足であがりこんでいる。余裕を見せるためだろうか。靴ぐらいぬげと、犬養は言ったらしい。しかし、彼らもくつろぐためにきたわけではなかった。有無を言わさず、引き金をひいている。

 事件後、首相官邸からは各方面へ連絡がゆきわたる。聞いて、とるものもとりあえず現場へかけつけた者は、少なくない。図25-4はその様子をとらえた写真である。日本間の玄関で、この1枚はとられた。土間の三和土(たたき)へ靴や草履がぬぎちらかされている。その乱雑さからも、みなのあわてふためく様子はしのばれよう。

図25-4 5・15事件 首相官邸玄関同書より転載 拡大画像表示