退くことは、後退ではありません。むしろ、より深い次元へと進むことなのです。武士や町人が「出家」を選んだのは、人生の敗北を認めたからではなく、新しい人生の段階へと進むためだったのです。

伊能忠敬は49歳から
第二の人生を歩み始めた

「一身二生」――1つの身体で2つの人生を生きる。この言葉を体現した人物として、江戸時代の伊能忠敬ほど印象的な例はないでしょう。

 伊能忠敬は、1745年に生まれました。17歳で下総国(現在の千葉県)の酒造家・伊能家に婿養子として入り、商家の主人として働き始めます。当時の伊能家は経営難に陥っていましたが、忠敬は持ち前の才覚と努力で家業を立て直しました。

 彼は実に有能な経営者でした。新しい商品の開発、販路の拡大、品質管理の徹底。現代の経営にも通じる手法で、伊能家を繁栄に導いたのです。また、村の名主として地域の発展にも尽力しました。まさに、会社と地域社会に貢献する、立派なビジネスマンだったと言えます。

 しかし忠敬の人生は、ここで終わりませんでした。49歳のとき、彼は家督を長男に譲り、隠居します。現代でいえば、早期退職のようなものです。

 そして隠居後、忠敬は何をしたか。なんと、江戸に出て、天文学と測量術の勉強を始めたのです。しかも、師事したのは当時31歳の天文学者、高橋至時でした。

 50歳の男が、自分より19歳も年下の学者に弟子入りする。その謙虚さと学ぶ意欲には、驚かされます。

 そして55歳のとき、忠敬は蝦夷地(現在の北海道)の測量に出発します。以後、73歳で亡くなるまで、彼は日本全国を測量して回りました。その総距離は、実に4万キロメートル。地球1周分に相当します。

 この測量の成果が、「大日本沿海輿地全図」です。江戸時代に作られたとは思えないほど正確なこの地図は、明治時代になっても使われ続けました。

 伊能忠敬の人生を見ると、明確に2つの段階があります。第1の人生は、商家の再興と家族の扶養という社会的責任を果たすこと。そして第二の人生は、自分が本当にやりたかったこと――測量と地図作成――に打ち込むことでした。