若い女性向けの展示企画に
散々悩んだ筆者の決断

 しかし、よく聞いてみると、その方は人形のバービー展やレゴ展を成功させてきた企画制作会社の人で、その展示会がきっかけの一つとなり街にレゴグッズが溢れ出していました(ちなみに、これはゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんの影響でタミヤTシャツが若い女性に大人気になる10年以上前の話です)。結果的にこの女性の言う通りになりました。

 確かにタミヤのツインスターマークは素晴らしいデザインなので、第2のレゴグッズになる可能性を十分秘めていると、私も常々思っていました。ただし間違っても一過性のブームにしたくはありません。また、私は30~50代の男性を満足させる展示コンセプトは色々と思いつきますが、若い女性が何を求めているのかは正直、皆目見当がつきませんでした。

 結局、「変に奇をてらうことなく真摯にタミヤの歴史を展示すれば、それは若い世代、女性に限らず、万人に訴えるはずだ」という結論になり、なぜか私が主体的に説得役に回って、タミヤと交渉することになってしまいました。結局タミヤには快諾していただけたのですが、気が付いたら私は展覧会の「総合監修」になっていて、それから1年間をかけて何度も打ち合わせを続けて、翌年の開催が決定していました。

 展示の基本コンセプトには、静岡のタミヤ本社にある歴史館の「移動展示」を据えたのですが、会場のコンパクトさから考えると内容をより密度の濃い、「ここでしか見られないもの」にしなくてはなりません。その上、展示期間中にタミヤ歴史館を閉めるわけにはいかないので、400点ほどセレクトした展示物のほぼすべては私の個人所有物を使うことにしました。これにより、タミヤから借りるものは現行発売の大型キットの完成品や箱絵の原画など20点ほどに抑えることができました。

 さらに静岡の歴史館では展示されていないバッグや文房具などのタミヤグッズや、タミヤの雑誌広告の歴史を大型パネルで展示するなど数々の工夫を凝らしました。

400点の展示物をそろえ
模型をアートとして見せる

 もちろんそれだけではありません、当時も今もジオラマ界の第一人者である金子辰也さんにお願いして、20点ものジオラマ作品を展示してもらいました。毎年発刊される「タミヤ総合カタログ」の見開きカラーページのジオラマ作家としても著名な方で、プラモデルはアートでもあることを世の中に示してくださったカリスマモデラーでもあります。

『私とプラモデルの半世紀』書影『私とプラモデルの半世紀』(松井康真、中央公論新社)

 さらに毎年タミヤが行っている1/35人形改造作品コンテストで、1973年の第1回から連続入賞を重ねておられた、伝説の作者・山本和彦さんをなんとか探し当てて、直接お願いをして28点もの作品を展示してもらいました。

 また、企画制作会社の担当さんが人選をし、クライン・ダイサム・アーキテクツ、常盤響さん、teevee graphicsの皆さんが、二つ返事で引き受けてくださり、タミヤをテーマとしたアート作品を作っていただきました。

 結局2002年3月の渋谷パルコ3を皮切りに、この「I LOVE TAMIYA」展は名古屋、福岡、札幌、大阪と6カ月をかけて全国5大都市を巡回展示し、大成功を収めました。

 今となっては時効ですが、まさか私がその展示会の監修をやっているとは夢にも思わないテレビ朝日報道局のあるデスクが、プレスリリースを見て「こういうやわらかいニュースも必要だ」と取材項目に入れ、私自身がテレビでそのニュースを読むという信じられないことも起きました。